飯塚繁雄さんが亡くなった際には「妹の田口八重子さんと再会できずにお亡くなりになり、心から申し訳ない思いでいっぱいだ」と述べ、「(拉致問題解決に向けて)あらゆるチャンスを逃さないと心に刻む」と記者団にあらためて決意を示した。
しかし、どのような方策を考えているのかは明らかにしていない。具体性に欠けた意気込みを繰り返し述べているだけだ。意気込みを語るだけなら誰でもできる。
安倍首相が「かつてない体制」と評価した調査委員会
この20年における拉致問題の歩みを振り返っておこう。
2002年9月17日に平壌で行われた小泉純一郎首相(当時)と金正日の日朝首脳会談で、北朝鮮側は長年否定していた日本人の拉致を初めて認め、謝罪し、再発の防止を約束した。そして同年10月15日に5名の帰国が実現。だがその後は進展がなく膠着状態に陥った。
2014年になって、事態は再び動き出す気配を見せる。北朝鮮が日本人拉致被害者についての再調査に合意したからだ。
北朝鮮は日本による制裁措置の一部解除と引き換えに、拉致被害者の再調査を担う特別調査委員会を、秘密警察である国家安全保衛部(現・国家保衛省)に設置した。国家安全保衛部は、体制への不満や反体制的な思想を持った政治犯を取り締まる秘密警察だ。さらに特別調査委員会のトップには国家安全保衛部の徐大河(ソ・デハ)副部長が就任。同氏は金正恩の側近であり、強力な権限を与えるとされた。
安倍晋三首相(当時)は「かつてない体制ができた」と特別調査委員会を評価し、制裁措置の一部を解除する方針を示した。
労働党の犯罪を調査できない組織に意味はない
だが、日本人拉致を実行したのは国家安全保衛部ではなく、朝鮮労働党(以下、労働党)直属の「作戦部」および「35号室」が中心だ。実は、国家安全保衛部はこれらの組織を調査することはできない。労働党直属の組織ではない国家安全保衛部に、労働党の犯罪を調べる権限はないからだ。
北朝鮮では労働党の命令ですべてが動く。金正恩が本気で日本人拉致について調査を行う気なら、労働党の組織を含む国家のすべての機関に対して強大な権限を有している「労働党組織指導部」に調査を行わせているだろう。
案の定、調査委員会はなんの報告も出さないまま時間だけが過ぎていった。設置から1年がたっても「調査を誠実に行ってきたが、今しばらく時間がかかる」とのらりくらりを繰り返す。実際のところは調査を進めようがないため結果を出せなかったのだろう。そして、特別調査委員会は2016年2月に一方的に解体された。