「もっと自分にうぬぼれて生きてみなよ」
かつて、テレビ朝日のアナウンサーから、「もしも、この試合に負けたら……」と、試合直前に質問され、いらだっていたわたしは、「出る前に負けることを考える馬鹿がいるかよ!」と張り手をしてしまったことがある。彼には悪いことをしたけれど仕方がない。試合前に負けることを考えるようでは、プロレスラーとして失格だからだ。
「オレは世界で最強だ」という思いで突っ走ってきた。その自信の源となっていたのは、日々のたゆまぬトレーニングだった。わたしはプロフェッショナルとして、いついかなるときでも練習に関しては妥協したことがないと自信を持っていえる。
わたしはよく、「もっと自分にうぬぼれてみろよ」とアドバイスをする。
もちろん、単に「うぬぼれ屋になれ」という意味じゃない。かなえたい夢を抱きつつ、自分で「もうこれ以上はできない」というくらい、とことんやることをやって、そのうえでうぬぼれてみろという意味だ。
徹底的に努力をして、自分で自分に自信を持つ。そして、うぬぼれる。
このサイクルを繰り返していると、自分でも思いもしない力を発揮することがある。
勝つためには努力が必要だ。きちんと努力しているならば、卑屈になるな、弱気になるな、自信を持て! もっと自分にうぬぼれて生きてみなよ。
「馬鹿になれ、恥をかけ、自分をさらけ出せ」
馬鹿になること、恥をかくこと、そして自分をさらけ出すこと――。
現代の人たちは、常に冷静でいること、まるで他人事のようにクールに振る舞うことがカッコいいことだと思っているようだ。でも、馬鹿になり、恥をかき、自分をさらけ出すことができたとき、本当の自分が見えてくる。
思えば、これまでの人生で多くの人に馬鹿にされてきた。人になんといわれようとも、いつも「どうってことねぇよ」と思っていたから、なにも気にしたことはない。
他人の尺度を気にしていたって仕方がない。自分には自分の尺度があり、自分の人生は自分で歩んでいくものなのだ。