競輪で、女性初のメインキャスターに
当時の公営競技は男社会で、女性はアシスタントという暗黙の了解があった。しかし、G1レースの司会を担当していた古舘伊知郎氏が、アシスタントに付いた髙橋さんに、「今まで公営競技に女性の司会者はいなかったけれど、(君は)大丈夫だから」と声をかけて励まし、司会者として推薦してくれた。メインキャスターになった髙橋さんは、重賞レースも任されるようになり、当時50カ所あった全国の競輪場を忙しく飛び回るようになる。
「競輪の世界に飛び込んだ当初は22、23歳ぐらい。現場に行くと、煙とほこりと車券が場内を舞っていて、大声で叫ぶ男性もたくさんいる。怖くて1人で場内を歩けないほどで、『何てところにきたんだろう』と思いました。ところが一度レースが始まると、いろんな色の自転車がびっくりするような速さでバンクを駆け抜けていくんです。『人間ってすごいな。きれいだな』と感動しました。そんな競技の司会を務めるのだから、世間のイメージも向上させたいし、いつか女性が憧れるような職場にしたいと思いました」
得度するも「行院」はかなわず
「まずは身だしなみから」と、出番の度にプロの友人にヘアメークを頼んだ。「ギャラより高い衣装代」とからかう人もいたが、毎回自腹でスーツをそろえて司会に挑んだ。きちんとした格好で臨むのがプロフェッショナルだと思ったからだ。「競輪は健全なもの」と伝えたくて、自費で本を出したこともある。
そうやって20年余りを駆け抜けてきたが、パワハラやセクハラなど、人間関係の悩みも重なっていた髙橋さんは、以前から心の隅にあった僧侶への道を考えるようになる。
僧侶になるには、仏教が学べる学校を卒業するか、師匠となる「師僧」の下で、所属している宗派から僧籍を取得する必要がある。当時の髙橋さんに師匠はいなかったが、2011年8月に母の友人の紹介で天台宗の僧侶に弟子入りし、仏門に帰依する誓いをたてて「得度」した。
しかし、得度しただけでは正式な僧侶とは認められない。天台宗の総本山である比叡山延暦寺での60日間の修行、「行院」を終える必要がある。行院は、非常に厳しいもので、耐えられずに途中で断念して比叡山を降りてしまう人もいるほどだという。髙橋さんも行院を希望したが、「耐えられるはずがない。どうせ途中で山を降りてしまうだろう」という人もいて、この時は許されなかった。
「そこからまた競輪の仕事を続けたので、実際に山に上がった(行院を行った)のは得度してから6年後です。まさか、自分がアナウンサーを辞めなければならない事態に陥るなんて、その時は思ってもみませんでしたが、そのおかげで山に上がり、正式な天台僧になれたともいえます。全ては仏縁ですよね」