突然の派遣切り。解雇で失意の同僚は自殺

石井 宏(仮名)49歳
商社経営→倒産→自己破産→離婚→寮付き派遣→派遣切り→強制退寮

石井宏さん(49歳・仮名)が、2009年1月に派遣切りにあい、仕事と住まいを失ってから1年が経った。いまは支援団体の協力で、生活保護を受け、アパートで暮らしながら求職活動を続けているが、書類選考で落とされてしまい、面接までなかなかたどり着けないでいる。

北海道出身の石井さんは、30歳のときに貿易関連の会社を起業。当初は順調に売り上げを伸ばしていたが、為替の乱高下に振り回され、事業に失敗。親から受け継いだ70坪ほどの二世帯住宅と土地を売却したが、すべての負債は返せず、自己破産の道を選んだ。

「借金をしていた親戚から、『女房をスナックで働かせて借金を返せ』と言われ、やむをえず離婚しました。幼い子ども3人は、妻が引き取りました」

住まいを失った石井さんは、住み込みの仕事を転々。派遣会社の寮に入り工場などに派遣されて働くようになる。派遣先である自動車部品会社で、2年間の勤務後、「もう契約更新はできない」とだけ伝えられ、派遣切りにあった。

当時の月収は約16万円。そこから社会保険料や寮費、寮備え付けのエアコンなどのレンタル料を差し引かれると、手元に残るのは6万円ほど。貯金をする余裕はなかった。

すぐに失業給付の手続きを進めようとしたが、派遣会社には、「離職票を発行するまでに3週間はかかる」と言われた。宿泊先のあてはなかった。

なんとかハローワークに家賃1万円の市営住宅を紹介してもらえたが、交通の便が悪く、ハローワークへの片道の交通費だけで1000円以上もかかる。また照明や暖房、風呂釜は未設置だった。求職活動もままならないなか、布団にくるまって寒さに耐えた。2月末、テレビのニュースで支援団体の存在を知った。すぐに連絡を取り、生活保護の手続きを進めた。所持金は5000円だった。