私はその話を苦笑まじりに聞くことしかできなかった。2011年の東日本大震災と福島第一原発事故、そして2020年を直撃したコロナ禍でも痛感したが、人が財布の紐を緩める時は、未来への希望がなんとなくでもある時だ。
そこに確かな根拠は必要ない。前の時代より、今の方が良くて、未来はさらに良くなる。無根拠な希望がそこにあるとき、人は大いに飲み、街に出て語り合う。
1995年の阪神大震災とオウム真理教事件、2008年のリーマン・ショック、2011年、そして2020年。賃金は上がらず、数年ごとに「歴史的な危機」が訪れる。その度に希望が見えなくなる時代には沈黙が蔓延っていく。
「誇りは『蛇の新』の暖簾を守ったということです。三代目に継がせることはできなかったけど、僕は守りました。あとは女房に感謝です。2人で喜びも悲しみも共有できた」
幸一がしみじみとそんな話をしていた、と清子に告げると、彼女はくるりと幸一の方を向き、「もっと感謝しろ」と腰に手を当てて胸を張った。
もうこんな日々は戻ってこない
最後の日、親子2代で常連だったという客は、父親の遺影とともにやってきた。ある人は花束を持参し、ある人は夫婦と記念写真を撮った。
店が終わる午後11時を過ぎても、リタイア世代中心の常連たちは別れを惜しむように残っていた。そこに存在していたのは、タイムスリップしたかのような「昭和」だったのかもしれない。
彼らの笑い声を聞きながら思う。停滞の中で「昭和」への憧憬だけが強まる時代を自分は生きていたなと。会計を済ませて、店を後にした。もうこんな日々は戻ってこない。
外は2020年――本来なら令和に元号が変わり、華々しく1964年以来のオリンピックが開催される予定だった年、コロナ禍の新橋の夜である。マスク姿の人々が家路を急ぐ。人通りは普段の半分もなく、会話もない。
SL広場には客引きの声だけが響き、酔客のコメントを取ろうとしていたテレビクルーはスマートフォンを眺めながら暇を持て余していた。