「二度目の聖断」が意味するもの

そして、八月十四日正午の御前会議において、第二回の「聖断」が下されます。ここでは、天皇が自ら部下統制にあたると、代替する執行方法を提示しました。

これは、本来は天皇・宮中グループが関与しない執行過程への介入なのですが、結果として議論は収束することになります。その内容は、下村海南『終戦記』(鎌倉文庫、一九四八年)には次のように描かれています。

陸海軍将兵には更に動揺も大きいであらう。この気持をなだめることは相当困難なことであらうが、どうか私の心持をよく理解して陸海軍大臣は共に努力し、良く治まる様にして貰ひたい。必要あらば自分が親しく説き諭してもかまはない。此際詔書を出す必要もあらうから政府は早速其起案をしてもらひたい。

亀田俊和、倉本一宏、千田嘉博、川戸貴史、長南政義、手嶋泰伸『新説戦乱の日本史』(SB新書)
亀田俊和、倉本一宏、千田嘉博、川戸貴史、長南政義、手嶋泰伸『新説戦乱の日本史』(SB新書)

議論を収束させ、無条件降伏が実現したのは、この二回目の「聖断」において、天皇が「部下の統制」にも必要があれば関与するという意志を表明したからであることが、よくわかります。これによって、「無条件降伏」という国家の意思決定を、具体的に実現するための執行過程の問題がクリアされる見通しがついたわけです。

「聖断」が二回必要だったのは、権限関係をめぐる議論と混乱があったためであることが、ご理解いただけるかと思います。

以上のように、国家の意思決定にかかわる各政治主体が、それぞれいかなる権限を持っていたかという点に注目することで、終戦に至る過程で何が問題となり、なぜ解決に至ったのかが見えてくるわけです。

こうした「権限」に着目して政治・外交過程を見直すことは、おそらく今後とも必要な研究視点になるのではないかと、私は考えています。

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