※本稿は、プレジデントFamilyムック『藤井聡太 天才の育て方』の記事の一部を再編集したものです(肩書は取材当時のものです)。
83歳の将棋教室“同期”「私は藤井聡太に勝った」
藤井三冠の幼少期の様子をよく知る人物として、藤井三冠が5歳から通っていたふみもと子供将棋教室を主宰する文本力雄さんから紹介されたのが、原木庄助さんだ。
原木さんは現在83歳でこの教室には藤井三冠とほとんど同時期入室だという。入室時は70歳で、当時の藤井三冠は5歳だった。もともと将棋好きで、70歳のときに仲間と将棋教室を開こうと考えていた際、縁あってふみもと子供将棋教室を知ったのだそうだ。
原木さんは名古屋市名東区の自宅から自転車で90分かけて瀬戸市の教室へ通っていた。
「教室での対局相手は文本先生が棋力を見て決めますが、入室当初よく聡太さんと当たりました。初めのうちは僕が何局か勝ったはずです(笑)。もちろんすぐに抜かされ、聡太さんが7歳になると、歯が立たなくなりました」
そんな原木さんがよく覚えているのは、藤井三冠の「姿勢」だ。
「盤を見入るときの前のめりの姿。小さい体からものすごい集中力が伝わってきました。対局以外では年齢相応の子供です。子供たち同士でトランプをしたり、プロレスごっこをしたりしていました」
ふみもと子供将棋教室では、年に3回ほど近所の旅館で合宿を行っていたそうだ。バスに乗って旅館に行き、日中は対局や大盤解説、詰め将棋などをし、夜は風呂につかったり、ご飯を食べたりして過ごす。
「子供たちが一緒に大風呂に入ってお湯を掛け合ったり、旅館ではしゃいだりしている姿を見かけて、ほほ笑ましい光景でした。将棋以外の子供たちの姿を見ると、自然と家庭でのしつけの様子がわかるものです。聡太さんをはじめ、将棋で強い子供たちはみんな旅館に向かうバスに乗る際に、大きな声で“お願いします”、降りるときには“ありがとうございました”と運転手に挨拶をしていました。旅館で遊ぶときも礼儀やルールから外れたことをする子はいませんでしたね」
ふみもと子供将棋教室の指導は、礼儀作法にも厳しいと評判だ。対局中はきちんと正座をする、はっきりと挨拶する、勝ってもおごった態度を取らない、対局後は駒を丁寧に箱にしまう。
「聡太さんはこうした作法をきちんと守っていました。でも、最初は甘えん坊な部分もあったと思います」
現在発売中の「プレジデントFamilyムック『藤井聡太 天才の育て方』」では、「泣き虫少年が天才になった道のり 玩具店、教室長、恩師が見た藤井家の子育て」のほか、藤井四冠が中1の頃に本誌が奨励会や家庭での活動に密着したドキュメント、さらに「渡辺明名人、佐藤天彦九段 トップ棋士が語る なぜ将棋で集中力が磨かれるのか」などを掲載している。ぜひ、手にとってご覧下さい。