大阪駅は日本屈指の迷宮駅だ。しかも難解なのは駅構内だけではない。ライターの渡瀬基樹さんは「大阪駅と地下鉄や阪急、阪神の駅をつなぐ地下空間も広大で複雑。しかも新線開通にともなう再開発で駅の迷宮度はさらに増すことになる」という——。

※本稿は、渡瀬基樹『迷宮駅を探索する』(星海社新書)の一部を再編集したものです。

JR大阪駅の駅名標
写真=iStock.com/winhorse
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大阪駅がある「梅田」はもともと「埋田」と呼ばれていた

迷宮駅の中で「西の横綱」と呼ぶにふさわしいのが大阪駅だ。大阪の二大繁華街の一つ「キタ」の中心である梅田地区に立地しており、接続する私鉄線や地下鉄線にも「梅田」の名が付けられている。

陸運より海運が中心だった江戸時代、市街地の中心部は船場や堂島で、日本で二番目となる大阪~神戸間の鉄道建設が計画されたときも、大阪駅は堂島に置かれる予定だった。

場所が約500m北東の梅田に変更されたのは、用地の問題だった。大阪市街地の北限よりも外側にあった梅田は、もともと「埋田」という名前だったように、湿地帯を埋め立てた場所だった。田んぼと墓地が広がっているだけの荒涼とした土地で、堂島よりも用地買収のハードルが低かった。

大阪駅構内に中途半端な階段が多いワケ

大阪駅は段差や階段・スロープが異様に多い。

特に中央コンコースや、南口から桜橋口へかけての自由通路には、3~7段程度の中途半端な階段が目立つ。これは高架化以降、悩まされ続けた地盤沈下の影響によるものだ。

軟弱な地盤と地下水の汲み上げによって、場所によっては最大で1m以上沈下したことで、ホームやコンコースだけでなく、路面にも大きな影響が出た。東海道本線の全線中、大阪駅構内の線路がもっとも急勾配になってしまい、レールに砂を撒かないと発車できない時期さえあった。

不等沈下を解消するため、アンダーピニング工法による大工事が、1962年(昭和37年)までの10年間にわたって施された。既設の基礎杭の間に人力で穴を掘ってコンクリート管を下ろし、約25m下の固い地盤に達したら管内にコンクリートをつめるというもので、日本で初めて採用された工法だった。さらに地下水の取水制限が行われたことで、ようやく地盤沈下は食い止められたが、段差はそのまま残ってしまった。