数学的思考が倫理的な誤りから人を救う

最後に、確率に関するなぞなぞを出しましょう。

キム・ミニョン『教養としての数学――数学がわからない僕と数学者の対話』(プレジデント社)
キム・ミニョン『教養としての数学 数学がわからない僕と数学者の対話』(プレジデント社)

統計的に見て、非常に知能の高い女性は、そのほとんどが自分より知能の低い男性と結婚するそうです。なぜでしょうか?

この問題に対して、さまざまな答えが出されます。

たとえば「女性はもともと男性より知能が高い」とか、「賢い男性は賢い女性を嫌う」とか。

本当の理由は何でしょうか?

正解はこうです。「確率的に言って、ほとんどの男性は非常に知能の高い女性よりも知能が低いから」。

非常に知能が高いということは、確率的にほとんどの人がそれより知能が低いと考えられます。

つまり、非常に知能が高い人は、どうしても自分より知能の低い人と結婚することになります。

ところが、このような質問をすると、多くの人は何らかの社会的な偏見に立脚して答えを探そうとします。

ですから、こうした問題について考えるとき、倫理的に誤った答えを避けるための思考が必要となります。それが確率論的思考だとも言えるでしょう。

しばしば私たちは、倫理的・人文学的に考えることと数学的に考えることは、まったく違う方向を目指しているという先入観を持っています。

特に確率論的思考については、そんな印象を受けます。

「確率は可能性にすぎない」という偏見があるからでしょう。

ですが、かえって数学的思考が私たちを倫理的誤りから救ってくれるのです。

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