世帯年収300万円台の家庭から東大を目指した理由

かく言う僕もその1人。僕の通っていた高校は東大合格実績がほとんどなく、僕が創立史上3人目の東大進学者でした。もちろん同期や先輩に頼れることもなく、孤独な闘いを余儀なくされました。

さらに言えば、足立区にあった僕の実家は、有り体に言って貧乏でした。後から聞いた話では、世帯年収は300万円台ということで、東大生の親の平均年収の半分にも満たない数字しかありません。

高校時代の学費も、特待生待遇でタダにしてもらっていたためなんとかなりましたが、万が一特待生から落ちたら即刻退学、転校だと常々言われながらの学校生活でした。

ここまでお話しすると、大抵の方には「貧乏ならそのまま働けばいい」と言われるのですが、僕には東大に行かなくてはいけない理由がありました。それは、高卒で働く人の生涯年収の平均と、東大卒で働く人の生涯年収の平均額が、2倍以上の差があるというデータを見てしまったからです。

もしこのまま高卒で働いても、生涯年収は東大卒の人の半分以下しか見込めない。そうなると、特に、僕が大人になって子供ができる頃などには、お金に困る確率が高まる。仮に、僕が大人になっても貧乏なままであれば、僕の子供や孫にまで貧乏を伝播させてしまうかもしれない。

中身が入っていない財布
写真=iStock.com/Rattankun Thongbun
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高校3年生まで自主的に勉強する習慣が1秒たりともなかった

もちろん、世の中はお金がすべてではありませんが、お金がなくては見えない選択肢が増えます。貧乏というだけで、とることのできる選択肢が極端に狭まるのです。「やりたいことがあるのに、お金がないからできない。そんな思いを僕以降の世代にさせたくない」と強く思いました。

そうなると、僕に残された道は、東大を卒業して、一円でも多くお金を稼げるように可能性を上げることしかなかったのです。だからこそ、僕は無謀な道だと知りながらも、東京大学へ進学を決めました。

しかし、その道は予想以上に険しいものでした。まず、受験を意識するまで部活とゲームに没頭していた僕は、高校3年生まで、自主的に勉強する習慣が1秒たりともなかったのです。

しかも、学校のカリキュラムも東大受験を想定したものではなく、日本史や英語のリスニング、英作文などはすべて自習することになりました。つまるところ、勉強が全く追いつかなかったのです。

さらに、僕が高校3年生の年には、2つの大事件が起こりました。1つ目の事件は、父が独立したことでした。父が当時勤めていた会社の経営が傾き、もうどうしようもない状況まで追い込まれてしまったのです。おかげで、父はまともに寝ることもできず、時には日雇いのバイトも挟みながら、あちこちと奔走していました。