欲望を抱いた直後に「テトリス」で脳の注意をそらす
同じ戦略は、目の前の誘惑に耐えたいときも使うことができます。
プリマス大学の実験では、まず被験者に「いま最も食べたいものについて考えてください」と指示し、好きなお菓子やコーヒー、ニコチンなど、好きなものを自由に思い浮かべさせて欲望をかき立てました(※5)。
続いて被験者の半分に「テトリス」を3分間だけプレイさせたところ、おもしろい変化が起きます。
ゲームで遊んだグループは、そうでない被験者に比べて渇望のレベルが24%も下がり、カフェインやニコチンにさほどの魅力を感じなくなったのです。
このような現象が起きた理由は、先のアドレナリンと同じく神経伝達物質の影響力が下がったのが理由です。
通常、何か欲しいものを前にした人間の脳内にはドーパミンというホルモンが分泌され、あなたの欲望をかき立てる方向に働きます。
ドーパミンは人間のモチベーションを駆動する物質であり、いったんその影響下に置かれたら逃れられる人はほぼいません。
ところが、欲望を抱いた直後に「テトリス」で脳の注意を一時的にそらしてやると、ほどなくドーパミンによる支配力は薄れ、前頭葉の自己コントロール能力が戻り始めます。
ドーパミンの持続時間は平均10分前後で、その時間さえしのげばあなたは渇望に流されず、“一の矢”だけで苦しみを終えられるわけです。
ヒト以外の動物は明日のことをくよくよ考えない
神経伝達物質の作用が数分も保たないのに私たちが悩みを引きずるのは、“二の矢”を継ぐからに他なりません。
放っておけば過ぎ去るはずの感情に油を注ぎ、神経伝達物質の影響を自らの手で煽りたててしまうのです。
しかし、もし誰かの心ない言葉に傷ついたとしても、急に未来の不安に襲われたとしても、神経伝達物質の低下さえ待てば、いたずらに悩みを増幅させずに済むでしょう。これこそが、まさにチンパンジーのレオの内面に起きたことです。
半身不随の苦境でもレオが絶望を見せなかった理由を、霊長類学者の松沢哲郎はこう説明します。
「チンパンジーは明日のことをくよくよ考えないからだ」
ヒト以外の動物は過去や未来を深く考えず、ほぼ目の前の世界だけを生きています。それゆえに、動物たちは過去の失敗や将来の不安に悩まされずに平常心を保つことができる。そんな考え方です。
言われてみれば、私たちの苦悩は未来か過去に関わるものばかりです。子どもの頃の失敗を思い出しては恥ずかしさに苦しみ、数年前に友人から受けた悪口の記憶で怒りを再燃させ、老後の自分を思い描いては不安に悩む。
目の前にない過去と未来を想像できる能力が、私たちを深く悩ませているのは間違いないでしょう。