「合理的な人間」気取りで他人の意見に盲従しているだけ
私がこうしたスタンスを明らかにして日々SNSで発言したり、メディアに寄稿、出演したりすると、ネットでは「お前のようなヤツがいるから、いつまでもコロナ禍が収束しないのだ!」「あなたは反社会的な存在。殺人鬼です」といった言われ方をする。
しかし、彼らからそう言われても「それはお前の考え。オレに押し付けるな。オレのなかでは、コロナはもう終わっている」「むしろお前みたいな『世間様のことを考えている』そぶりで、実は他人の目を気にしているだけの連中のほうが迷惑」「自分の頭で合理的に考えられず、他人の意見に盲従するだけの存在こそ、この騒動が終わらない元凶だ」としか思えないのである。
結局、メディアも政治家もいわゆる「空気」「世論」というものにおもねって情報発信をする。いや、一般大衆がメディアと政治家に影響されているのかもしれないが、とにかくコロナ騒動においてはこの3者の思惑が見事に一致し、「ヤバいよね、怖いよね」と顔を見合わせながら1年半以上、ただコロナに恐れおののくだけの時間を送ってしまった。
「コロナ“禍”」ではなく「コロナ“騒動”」
だいたい「コロナ禍」という言葉にはかねて違和感がある。実情を正確に表現するなら「メディア禍」「コロナ対策禍」「コロナを利用したいポピュリズム政治家禍」「注目される快感を覚えて調子に乗った専門家・医クラ(医療クラスター/SNS上の医療関係者)禍」とするほうが適切だろう。だから私は「コロナ禍」ではなく「コロナ騒動」と呼んでいる。
そのトリガーを引いたのは2020年2月以降のテレビメディア、そして小池百合子・東京都知事だろう。とにかく彼女は大衆煽動が上手だ。
「ステイホーム」「おうち時間」「(桜は)来年も咲くのでそれを楽しみにしていただきたい」「買い物は3日に1回」「我慢のゴールデンウィーク」「オーバーシュート」「クラスター」「ロックダウン」「三密」「今年のゴールデンウィークもステイホームをお願いしたい」など、キャッチーなフレーズや意味深げな専門用語を多用して大衆に恐怖感を与え、行動制限をもたらした。2020年4月7日、自治体で初となる緊急事態宣言を出したのも小池知事だ。このとき、東京は一斉にざわめき、スーパーは大行列となった。もともと「アウフヘーベン」など横文字を好んで使ってきた小池知事だが、コロナ騒動ではその傾向が強まったことに加えて、以前から卓越していたフリップ芸を何度も炸裂させ、見事に自身の存在感を高めることに成功している。