不祥事や失敗だらけだった東京五輪

思い起こせば東京五輪は、その招致が決まったときから不祥事続きだった。

東京招致が決まった国際オリンピック委員会総会で、当時の安倍晋三首相が口にした「アンダーコントロール」(原発事故は完全に制御できているという意味)発言の虚偽。フェアネスを理念とするスポーツイベントが嘘によって招致されたというアイロニーは、笑うに笑えない。

大会招致委員会から2億円超の大金がシンガポールのブラック・タイディング社代表イアン・タン氏に支払われたとされる贈賄疑惑。当時の招致委員会理事長、竹田恒和氏はいまもフランス司法当局の捜査を受けている。

打ち水や朝顔、頭にかぶる日傘、さらには会場周辺に立つビルのドアや窓を開放して建物内の冷風を送るというあまりに非現実的な暑熱対策には、開いた口が塞がらなかった。水質が悪化し、トイレ臭が漂う台場海浜公園にその改善策としてアサリを投入したことにも唖然とした。

森喜朗氏が女性蔑視発言により大会組織委員会会長を辞任したのは、開幕を控えた今年の2月。開閉会式の演出チームをめぐってはトラブル続きで、お笑いタレントの渡辺直美氏をブタに見立てる「五輪ピッグ」を企画したクリエイティブディレクターの佐々木宏氏が辞任。さらには開会式の楽曲制作を担当する小山田圭吾氏が過去のいじめ問題によって、また開閉会式の制作チームのショーディレクター小林賢太郎氏が過去にユダヤ人に対するホロコーストをネタにしたとして、開幕直前に辞任した。

直近では大会期間中に運営スタッフ用の弁当13万食以上と、未使用のマスクや手指消毒液など総額500万円相当の医療用備品がともに廃棄された事実が明らかとなった。食品と医療用備品は生きるための必需品だ。とくにコロナ禍で未来への見通しが立たないいまはそれらを必要とする人がごまんといる。なのにあっさり捨ててしまうのは言語道断の愚行としかいえない。

食べ物を捨てる
写真=iStock.com/AndreyPopov
※写真はイメージです

あまりのひどさに書き連ねるのがいやになるが、挙げていけばキリがないのでこれくらいにしておく。

それにしてもよくぞここまで不祥事を積み重ねられたものだと、呆れを越えて感心する。なにをするにおいても次から次に失敗だけを選択し続けるのはそう容易ではないからだ。本来なら、同じ失敗を繰り返さないようにその原因を究明するはずだが、それをしない。失敗の連鎖は原因の究明なくして防げない。

「開催さえすれば洗い流せる」という楽観論

なぜ失敗の原因を究明しなかったのか。その理由が私にはひとつしか思い浮かばない。

そもそも最初からきちんと運営しようという意思がなかった、というのがそれだ。先の河村氏の発言が象徴するように、開催にこぎつけさえすればスポーツでウォッシュできるという楽観が、五輪に関わる組織全体に横溢していたように思える。

先に述べた数々の暑熱対策はどう考えても場当たり的な対応だし、マラソン競技の会場を札幌に変更したのもそうだ。そもそも7月末から8月にかけての開催時期が屋外でスポーツをするのに適した気候でないことは誰の目にも明らかで、気温も湿度も高いこの時期でのアスリートのハイパフォーマンスは望むべくもない。にもかかわらずこの時期の開催に至ったのは、放映権を有するNBCへの配慮だといわれている。招致決定以降、関係者が繰り返した「アスリート・ファースト」の理念は最初から絵に描いた餅だった。

また、開閉会式のチームスタッフをめぐる辞任騒動も、その人物が適任かどうかの身辺調査を怠ったがゆえに生じたといえる。ネットで検索するだけで事足りるのにそれをしない。ここには、中身はともかく式を挙行できさえすればいいという目論見が透けてみえる。

弁当と医療用備品の廃棄は、再利用するための手続きの煩わしさに、規約に則るという杓子定規な理由を用いて為されたとしか考えられない。人道に反する行為だとわかりながらも廃棄したのは、たとえ批判されても大会終了後しばらく経てば忘れ去られることがわかっていたからだ。

失敗すれば後がないと考える人はツメを誤らないが、失敗しても最後には帳消しになると考える人はツメが甘くなる。最終的にアスリートの卓越したパフォーマンスによって洗い流される。それが無意識的にわかっているから、これだけの不祥事が起こり続けたのである。