15歳で父を亡くし、高校卒業後ずっと働いてきた

玉置は1930年(昭和5年)に大阪で生まれた、生粋の浪花っ子である。1930年といえば昭和恐慌のまっただ中。翌年に満州事変が勃発して、わが国が戦争への道を歩み始める起点となった年である。

社員と談笑する玉置さん。「70代の頃までは、若い子と一緒にスキーに行ったりしていたから、世代のギャップはあまり感じないですね。今も行きたいけど周囲に止められて……」と不満そう。(写真提供=サンコーインダストリー)
社員と談笑する玉置さん。「70代の頃までは、若い子と一緒にスキーに行ったりしていたから、世代のギャップはあまり感じないですね。今も行きたいけど周囲に止められて……」と不満そう。(写真提供=サンコーインダストリー)

「私、終戦の年に15歳でしたが、父が戦争による過労で戦後すぐに亡くなってしまって、母も病弱だったものですから、高校を卒業してからずっと仕事をしてきました。弟と妹が合わせて3人いましたから、働くことを義務付けられたようなものでした」

高校を卒業して生保に3年勤め、紡績工場を経て、1955年、25歳の時にサンコーで働き始めた。勤続、実に65年である。

「サンコーが一番居心地がよかったので、ここまで継続することができたと思います」

現在も、月曜日から金曜日まで、9時から5時半まで働く。土曜日も「総務に誰かいないといけないから」と、当番の日は午前中だけ出社している。いくら居心地がいいとはいえ、90歳という超高齢者が働き続けるのは並大抵のことではないだろう。サンコーはそんなに働きやすい会社なのだろうか?

社長が癒やしてくれる

「ひとつは、上下の壁がないということですね。部長はもちろんのこと、社長に対しても人を介さずに直接ものが言える会社なんです。会社が終われば社長と一緒にアスレチックに行ったり、おいしいもんを食べに行ったり。一番のねぎらいは、社長が隣にいて癒やしてくれることなんです」

社長が癒やしてくれる……。

にわかには理解し難い言葉である。

「サンコーは課とチームを主体に動いていて、優秀社員の表彰もチームの成績がよかった中での個人の表彰という形なので、ひとりだけがんばっても、チームがよくならなければ評価されないんです。営業も男女のペアでチームを組むようになっていて、必ず2人以上で仕事をしています。常に相棒と一緒に成績評価をされるので、個人が追い込まれることが絶対にない。常に誰かと一緒というところが、とても心強いんです」

玉置の上司に当たる、総務部長の佐藤宏彦が補足してくれた。

「年に2回、賞与の時期に個人評価をしていまして、評価の高い順に、最優秀賞、優秀賞、新人賞を授与しています。個人を評価する軸は、年功序列と成績評価が半々の割合で、年功序列を半分入れることで、成績オンリーになることを防いでいるのです」