退官後、政界に入って副総理にまでなるのだから極めて優秀な仕事師なのだろうけれど、長官在籍中には大事件が頻発している。

任期は1969年から72年までの3年間だが、その間、起こった事件は以下の通りである。

よど号ハイジャック事件、瀬戸内シージャック事件と犯人射殺、三島由紀夫割腹事件、成田空港建設反対闘争で機動隊員3名死亡、あさま山荘事件、連合赤軍の群馬県妙義山での12人リンチ殺人、テルアビブ空港乱射事件……。後藤田長官は頻発する重大事件に対してパニックになることなく、冷静に対処している。

警視庁本部庁舎 玄関前の石碑
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「暗い夜道の一人歩きはやめましょう」の看板に憤慨し…

しかも、舌鋒ぜっぽう鋭いというか、人を食った発言が残っていて、それがまた彼の魅力と奥の深さともなっている。

以下は長官時代の発言からだ。

「新聞は警察官が過激派の火炎びんを浴びて殉職すると『死亡』と書く。どうして『殺人』と書かないんだ。あれは誤報だ」(鈴木卓郎『警察庁長官の戦後史』ビジネス社)

この発言を聞けば第一線の警察官たちは快哉かいさいし、後藤田正晴を尊敬し、信頼するだろう。

ただし、一方で、身内に対しても遠慮はしない。叱る時は厳しい。

「『暗い夜道の一人歩きはやめましょう│警視庁』というあの看板、あれはなんだ。暗い夜道を一人で歩いても大丈夫なようにするのがわれわれの役目じゃないか。警察の無能、無策を宣伝するようなあの看板はすぐに撤去せよ」(同書)

政治家に対してもひるまない。

「きょう、某大臣に会ったら『後藤田クンのゴルフは、よくボールが飛ぶそうだが、どんなショットをするのか』と聞かれたんだ。そこでセンセイ、ゴルフなんて簡単ですよ。あの小さなボールをバカな政治家か、意地悪な新聞記者の頭だと思って力いっぱい殴りつけるんですよ。よく飛びますよって答えてやったよ」(同書)