アフガニスタンで権力を掌握した武装勢力タリバンは、9月7日、暫定政権の樹立を宣言した。暫定政権には女性や反対勢力の代表は含まれず、統治への不安が広がっている。前駐日アフガニスタン大使のバシール・モハバットさんは「民主政権が統治していたこの20年間で、アフガニスタンは日本よりも女性進出の進んだ国になっていた。このままでは後戻りしてしまう」という――。
20年前、日本から帰国して、母国の荒廃ぶりに涙が出た
皆さんは故郷を見て、涙を流したことがありますか。
私は1956年にアフガニスタンの首都カブールに生まれました。カブールは花の似合う街です。文明の十字路と呼ばれるように、文化も、食事も、服も、人間も、言葉も全部交ざって、行ったり来たりしている。市場はいつも賑やかでした。私の幼少期は、カブールに欧米の文化がたくさん入り込み、男性も女性も一様にファッショナブルでした。
高校卒業後に日本の大学へ留学しました。その後、帰国せずに長年日本で働いていた私が、カブールへ帰国したのは2002年のことです。
空港から市内に向かう車窓から見えた光景に、私は息をのみました。街は色を失い、目に入るのは瓦礫ばかりなのです。民家を含め一つとして元の形が残っている建物がなかった。人の数はまばらで、彼らの服は一様に汚れていました。
ソビエト進攻、それに続く内戦、さらには第一次タリバン政権(1996年〜2001年)による悪政の結果です。国土は静まり返り、破壊されたビルが墓標のように立っていました。道路はところどころ寸断され、電気もついたり消えたり。日本に連絡しようにも、電話線は切れている。国際電話をかけるには隣国のパキスタンまで行かねばならないなんて、何の冗談でしょうか。
ショックで涙が出ました。この墓場が私の故郷なのか。戦争によってアフガニスタンはすべてを失ったのです。何も残っていませんでした。