なぜ、人間とペットの遺骨を一緒に埋葬することを認めていないのか

室内飼育が増えるに伴って、犬や猫の地位は人間と同等、あるいは、それ以上になっていると考えるのは自然である。つまり、ペットは「人間のよき仲間」からステージを上げ、「ファミリー」になっているのだ。

その結果、「ペットの死後」に変化が起きている。人間並に業者を呼んで葬式や火葬を執り行い、ペット専用の墓を設けるのが一般的になっているのだ。ペット専用霊園はここ数年でずいぶん増えてきた。

京都府のペット霊園
撮影=鵜飼秀徳
京都府のペット霊園

だが、問題が起きている。仏教寺院での供養の場合だ。

「愛犬や愛猫と一緒に墓に入りたい」

という飼い主のニーズは、最近、どこの寺でも増えてきている。

しかし、多くの寺院では、人間とペットの遺骨を一緒に埋葬することを認めていないのが実情なのだ。

法律論でいえば、ペットとの“死後の同居“を禁止する明確な法律はない。しかし、「墓地、埋葬等に関する法律」の第1条が、人骨と合葬する際の障壁となっている。

「墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする」(第1条)

つまり、ペットと一緒に入ることが「国民の宗教感情に適合」しているかが問題なのだ。宗教感情とは何か、といえば死後世界における人間と動物の「すみ分け」のことである。

宗派にもよるが、日本における仏教の死生観の中には「六道輪廻」というものがある。生前の行いによって、死後世界が決まるという考え方だ。一番上のランクからいえば、神々が住む「天界」「人間界」怒りに満ちた「修羅界」、その下に動物の「畜生界」がある。畜生界の下には飢えの世界「餓鬼界」、そして最悪なのは「地獄界」である。

われわれ人間は信心をもって仏道に帰依することで、死後、六道輪廻から脱し(解脱し)、極楽に往く道がひらけている。

だが、動物は生前に仏道に帰依することは難しい。犬や猫は、「南無阿弥陀仏」の念仏や「南無妙法蓮華経」の題目を唱えられない。よって、ペットはその死後、いったん人間世界に生まれ変わり、仏道に帰依した上で解脱するという「二段階」を経る必要がある、と説く僧侶は少なくない(ペットが人間と同じように死後、すぐに六道輪廻から脱せられるという学説もあり、議論が分かれている)。

しかし、教理上の理屈を僧侶がこねたところで、飼い主にとっては癒やしになるどころか反発しか生まない。ペットが「ファミリー」になったことで、現場の寺院の考え方と飼い主の心情との間に齟齬そごが生じているのだ。

数多の宗教は基本的には「死からの救済」を目的としている。その「死」とは、あくまでも「人間の死」のことである。当たり前のことではあるが、人類の長い歴史の中で「ペットのための宗教」は存在してこなかったのだ。