とはいえ、兵士になろうという人間の心にあるのは、右派の思想よりも愛国心ではないか。それがなければ、徴兵制も停止されている今、兵士になろうなどとは思わないだろう。そして政府は何より、そんな愛国心に満ち溢れた兵士を必要としている。しかし、その一方で愛国心には誰も触れたがらない。それは、国家主義といったよからぬ概念と紙一重で、特に政治家にとっては、下手に踏むと自分が吹き飛ばされる地雷になりかねないからだ。
日本はドイツよりもさらに重症だ
7月29日、クランプ=カレンバウアー国防相は、「記憶の森」で連邦軍の予備兵の連盟が開催した式典に列席し、戦死者を追悼した。
ただ、私がそれを知ったのは連邦軍のホームページ上で、普通のニュース番組ではなかった。ニュースにならないことは拡散されにくい。国防に対する国民の無関心は、「記憶の森」を人里離れたところにひっそりと置いておく政府や、左派の意見を重視するメディアによって醸成されている気もする。
戦後のドイツと日本の平和主義はよく似ている。左翼は平和を愛し、右翼は戦争を好むといったイメージがしっかりと定着している。愛国心という概念は微妙なので教育の場から取り除き、軍隊(自衛隊)は常に負のイメージだ。ドイツの社民党は、NATOにおける米軍との核シェアリングも、もうやめようと言っている。
ただ、ドイツはそれでも軍隊を持ち、NATOの集団的自衛権にも組み込まれている。一方の日本は交戦権も集団的自衛権も放棄し、このままでは、攻撃されれば戦わずして占領される運命だが、幸か不幸か、気にしている人もあまりいない。愛国心や危機感の喪失はドイツよりもさらに重症だ。
安全保障の概念の抜け落ちている国家は平和を語る資格がないと、私は常々思っている。