「戦闘状態」に最初こそ国民はショックを受けたが…

アフガニスタン派兵の発端は、言うまでもなく2001年、米国での9.11同時多発テロである。この年の11月には米国の主導で国際治安支援部隊が結成され、英国、フランス、カナダ、ドイツなどによるアフガニスタン支援ミッションが始まった。

車両部隊
写真=iStock.com/AHDesignConcepts
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同年12月には西側の息のかかったアフガニスタン暫定政権が建てられ、その支援と国家の復興を名目に戦闘が本格化した。日本の自衛隊も2010年までインド洋での給油活動に参加した。しかし、開戦や戦闘の正当性については、今も意見が分かれる。

ドイツ連邦軍は、当初、開発援助という名目で参加し、活動をインフラ整備や警察官の養成、医療、教育支援などという分野にとどめるつもりだった。しかし、ドイツ連邦軍を追い出そうとしたタリバンの激しいテロ攻撃を受けるうちに、次第に戦闘の深みにはまっていき、やがて、戦闘状態であることを正式に認めざるを得なくなった。

ただ、国民は、最初のうちこそ戦争という言葉にショックを受けたが、2013年を最後に戦死者が出なくなると、アフガニスタンは徐々に視野からフェイドアウトしていったように思う。

派遣国での戦死者を祀る「記憶の森」

ベルリンから南西に30kmほどの森の中に、「記憶の森」と名付けられたドイツ連邦軍の施設がある。これは、外国での任務で犠牲になった兵士をまつる場所で、特に、急激に増えたアフガニスタンでの戦死者を念頭に2014年につくられたという。

それまでは、外国の基地内に、兵士たちの手による簡素な追悼の碑が設けられていたが、撤退すればそれもなくなってしまう。一方、2009年にベルリン国防省の横につくられた戦没者追悼の記念びょうは、重厚な外観ではあったが、遺族が静かに故人を悼むにはふさわしくないということになり、新たに建設されたのが「記憶の森」だった。

「記憶の森」は足の便が悪く、車がないと行きにくい。4500㎡におよぶ敷地は厳重に警戒され、入場には連邦軍の事前の許可が要る。近くには大きな兵営がある。

私がここを訪れたのは2017年の7月。中に入ると、自然な林の姿を残した風景が眼前に開け、その中を150mのまっすぐな道が貫き、左右に記念碑が配置されている。その日のことを、今、思い返してみても、そこに漂っていた普段とは違う異質な静寂がはっきりと蘇ってくる。