2010年には先に6つの村の住民が移転させられるも、非常に不利な補償基準に合意させられ、移転させられた場所も生活基盤が整っていなかった。それに加えて発電量の90%が中国に輸出され、中国は雲南省の開発にその電力を使う構想を描いていたとされる。これらの実態が明らかになり、建設に反対する民衆の怒りが表面化。2011年に当時のテイン・セイン政権により工事の中断が決定された。
ミャンマー政府が委託し、2014年に実施された環境アセスメントでも、ダム建設は広範囲にわたってエーヤワディー川の流れを変えかねないとして、建設中止が強く勧告された。
「建設が嫌なら賠償金を払え」中国の常套手段
だが中国はたびたびミャンマーに対し、ミッソン水力発電ダム建設の再開圧力を強めてきた。それに対し、住民の反対運動が起こり、2019年の建設再開に反対する住民デモでは4000人以上が参加している。
2019年、アウン・サン・スー・チー政権時代には、中国側は建設工事契約に基づき、ダム建設中止の場合には多額の契約違約金やこれまでの投資への損害賠償金を要求する構えをみせる。
中国が「一帯一路」構想で使う常套手段だ。こうして債務不履行に追い込み、所有権、借用権で実質的に中国が支配し運営管理に乗り出そうと、建設再開へ圧力をかけてきたのだ。この中国の強引なやり方に住民の反対はますます強くなっていった。現在も工事は暫定的に中止されているが、完全中止を求めて住民の反対運動は続いている。
もう一つ、ミャンマー中央部のモンユワ銅山で進められた開発事業は、悪名高いレパダウン銅山の開発プロジェクトも含まれていて、住民からの激しい抗議活動が起きた。この事業は2012年にミャンマー国軍系企業の「ミャンマー・エコノミック・ホールディングス」(MEHL)と中国のワンバオ社により進められた合同事業である。
MEHLは立ち退きに同意した農家に対し、1エーカー当たり610米ドルを補償したと伝えられているが、実際には正式な通知も無いまま、勝手に自分の農場を中国企業に貸し出された村民も多くいた。
火炎爆弾などを浴びた50人が大やけど
さらには1990年代に投棄された鉱山からの有害廃棄物が十分に除去されておらず、住民は深刻な健康リスクにさらされていた。そのため住民は政府に対してプロジェクトの中止を求めて抗議活動を行なった。2012年の抗議デモの参加者に対し、警察は火炎爆弾、リン酸爆弾、ナパーム弾、有毒性が高い白リン弾までデモ参加者の鎮圧に使用し、約50人の僧侶たちが重度のやけどを負った。