【青木】この年、金大中の跡を継ぐかたちで盧武鉉(ノムヒョン)政権が誕生しています。僕も特派員として盧武鉉の大統領選を取材しましたが、これも金大中の積極政策などによっていち早くIT社会化を果たしたことなどを背景とし、当初は泡沫に近かった盧武鉉がネットなどを通じた若者たちの熱狂的支持を受けて当選を果たしました。
竹島、靖国、歴史教科書……
【青木】盧武鉉は、日本風にいえば「戦後生まれ初」というか、正確にいうなら「日本統治からの解放後生まれ初」となる韓国大統領でした。当然ながら日本語はできないし、人権派弁護士出身なので外交問題に精通しているわけでなく、日本のこともほとんど知りません。その盧武鉉政権下で「史上最高」と称されていた日韓関係は急速に悪化していくことになったわけです。
もちろんこれは盧武鉉のせいだけではありません。日本側の小泉政権は日朝首脳会談を成し遂げる一方、首相自身が靖国神社への参拝を繰り返し、右派団体が主導した復古的な歴史教科書問題にも韓国側から厳しい眼が注がれていました。
政権レベルの動きではありませんが、二〇〇五年には島根県が県条例で「竹島の日」を制定し、韓国世論の猛反発がわき起こります。
これをあまりくわしく話すと長くなるので手短に済ませますが、日韓が領有権を主張している竹島、韓国でいう独島(ドクト)は、韓国にとってみると単なる領土問題ではなく、歴史認識が濃密に絡んだ非常にセンシティブな問題なんですね。
領有権をめぐる日韓どちらの主張が理にかなっているかはともかく、朝鮮半島などの権益争いが背景にあった日露戦争に勝利した日本が一九〇五年に竹島=独島の領有を閣議決定し、これが日本による植民地支配の大きな一歩になったと韓国側ではとらえられている。だから単なる領土問題ではなく、歴史問題と直結した問題としてとらえられてしまう。
まさに二〇〇〇年代に入って日韓それぞれを率いた小泉政権と盧武鉉政権の間では、そんな竹島=独島問題と首相の靖国参拝問題、歴史教科書問題が三点セットとなって同時に持ちあがってきました。しかも日本国内では先ほどから話したような急速な右傾化というか、戦後的価値観へのバックラッシュのような排他的攻撃性が強まっていました。
それに対して盧武鉉政権はどう対応したか。当時ソウルで取材していた僕は、韓国政府の高官と懇談した際、こんなふうに尋ねられたのをいまも覚えています。靖国問題と教科書問題、そして独島=竹島問題に韓国政府はどう対処すべきだと思うか、と。