「LGBTには生産性がない」発言の二重の間違い

杉田議員の「LGBTカップルには生産性がない」発言には、二重の間違いがある。

性的マイノリティの人たちの脳は、社会生産性がけっして低くない。そして、そもそも、生産性がない人に税金を使うのに違和感があるという考え方もおかしい。

性的マイノリティは、脳科学的には、「生まれてくるのが想定内の脳スタイルの一つ」なのである。単なる少数派であって、なにかの間違いなのではない。男性の身体に、共感型の脳が搭載されている人、女性の身体に、問題解決型の脳が搭載されている人は、昔から、一定数いるのである。

白いワンピースを着た二人の女性が手をつないでいる場面
写真=iStock.com/imemei
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つまり、人類はもともと、「男性脳型男性」と「女性脳型女性」の2種類だったわけじゃない。もっと多様な脳の組合せでできている。そして、それぞれの脳が、別々のものを見て、それぞれの行動を取り、人類の多様性を担保してきたのである。だからこそ、人類は、ここまでの繁栄を可能にしてきたのだ。

後に詳しく述べるが、女性脳型の男性は、「直感が鋭く、芸術や科学に秀でた天才型」である。私には、合理的でタフな男性脳の中に、ときに天才型を混じらせるための、自然界の摂理だと思えてならない。加えて、性的指向にかかわらず、子どもを持たないことが生産性が低いと断じるのは、あまりにも短絡的であろう。

解剖学的な根拠=脳梁の太さの違い

男女の脳は、解剖学的に見ても、実は違いがある。

右脳と左脳をつなぐ神経線維の束=脳梁が、女性のほうが太く生まれついてくるのだ。

もちろん、太さの違いに個人差はあるし、年齢でも違うし、人種や、日常に使う言語によっても違ってくる。このため、「年齢幅を大きくとり、人種や母語を多数混ぜた調査対象」にすれば、脳梁の違いはないように見え、これを絞れば、あるように見える。つまり、論文なんて、「脳梁の太さに男女差はない」とも書けるし、「ある」とも書けるのである。このため、昔から、どちらの論文も存在し、論文ごとに太さの違いを表すパーセンテージも違っている。昨今では、男女平等や性的マイノリティへの配慮を意識してか、「違わない」派が優勢である。

しかしながら、脳外科医の中には、「実感としてたしかに違う」とおっしゃる方もいるし、男女の脳の写真を読ませて学習させたAIも、未知の脳の写真を判定して、ほぼ間違いなく男女を見分けるという。人工知能の開発者として言わせてもらえば、男と女、これだけ出力の違う二者間で、脳梁の太さに差がないとは思えない。

右脳は、五感から上がってくる情報を統合してイメージを創る場所、左脳は顕在意識と直結して、ことばや記号を司る場所。これらの連携がいいということは、察しがよく、共感力が高く、臨機応変であるということだ。連携が悪いと、空間認知力が高くなる。俯瞰力、戦略力に長け、危険察知能力が高く、複雑な機構を考案したり、組み立てたりすることが得意だ。

この脳梁の役割からしても、女性は連携頻度が高く、男性は連携頻度が低いのが明白であろう。女性の高い連携頻度を支えるために、太い脳梁が必要なのである。