「安定」なんてまやかしにすぎない

どれだけ未来を悲観して将来に多くを備えていても、どうしたって避けられないトラブルが世の中には存在していて、それはどんな人間にも多かれ少なかれ降り注ぎます。

新型コロナウイルスでそれを実感した人も多いはずです。

死なないためにも「絶対に起こること」については最低限の準備をしながら、それ以外のイレギュラーなトラブルは「まあいっか?」「しょうがないよな?」という感じで、あきらめながらやっていく。

人生はそれの繰り返しなのではないでしょうか。

コロナ以前にYouTubeの報酬基準が変わり、実質的に解雇になった一部のYouTuberたちに対して「そんな不安定な仕事してるからだ。ざまあみろ」的なこと言っている人たちがネット上では散見されました。

でもいまの状況はどうでしょう。別に僕はYouTubeをやってるやつがえらい! かっこいい! とは思っていませんが、「安定」した仕事をしていると勘違いしている彼らも、本当はいつ解雇されるかわからない。

不確実なことに溢れているこの世で、真の「安定」なんてあるのでしょうか。

「安定」をあきらめている人より「不安定な仕事をしている」ことに気づいていない人のほうが僕は危ない気がします。

就職面接
写真=iStock.com/Orbon Alija
※写真はイメージです

「嫌な仕事を続けるコスト」はものすごく高い

たかが仕事をあきらめただけ。結婚をあきらめただけ。安定をあきらめただけ。

あきらめて「仕事をやめるコスト」よりも、余計なことを気にして「嫌な仕事を続けるコスト」のほうがずっと大きい。長期的に見たら「あきらめる」ほうが圧倒的にコストが低いのに、人間はどうしても短期的なコストの低さに目がいってしまい、これがジワジワ首を絞めるわけです。

仕事が嫌で嫌で仕方がなくて、明日を生きることをあきらめたくなるくらいなら、仕事をあきらめて生きればいい。

何かをあきらめる前には「さすがにこれをあきらめたらやばいことになるだろう……」と感じるけど、実際は「全然やばくないじゃん!」と気づきます。これは真理。誰でも同じ。

あきらめられる人とあきらめられない人の本当の違いは、「恐怖を感じるか」ではなく「恐怖がフェイクだと知っているか」です。

「10年は泥のように働け」と言っていた人が、数年後には自殺していた、という話を聞いたことがあります。本当に守るべきなのは「収入」なんかじゃなくて「命」です。

いろんなことをあきらめても、生きることだけはあきらめちゃいけない。

カロリー摂取と睡眠を欠かさなければ人間は生存できます。人間の維持コストはそれだけ。

それだけなら年収50万円あれば守りきれるでしょう。