※本稿は、プロ奢ラレヤー『プロ奢ラレヤーのあきらめ戦略~お金に困らず、ラクに、豊かに生きるには』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
死ぬまで続く人生の「勝利条件」とは何か
あきらめたら人生って結構ラクだし、意外と豊かだし、楽しいじゃん。死ななくて済むし。僕はそんな話をずっとしてきました。
それでもまだなんとなく「あきらめる」こと=負け、だという思いを払拭できない人のために「人生の勝利条件」について話したいと思います。
僕自身、あまり競争ごとには興味がありません。しかし、「人生の勝利条件」というものは誰かと競うためにあるというよりも「方針を示すコンパス」のようなもので、明日の自分が迷子にならないために、ある程度の精度で用意しておくべきものだと思っています。
というのも、「いま、何を追いかければいいか」ということを理解するのは何においても重要なことだからです。
人生における勝利条件とは個人差があるものだと思われているので、「勝利条件とは○○だ」と断言すると、「勝手に決めつけるな、お前に何がわかる、自分が向かっている方角は間違いじゃないんだ、だからそうやって間違えを指摘するな」と怒鳴りつけられてしまいます(一般的に、人が怒るのは「本当のことを言われたとき」ですが……)。
でも、そうやって怒鳴りつけてしまう人のことは一旦無視しておいて、あえて簡潔に答えを言ってしまいましょう。
「『人生の勝利条件』とは、ずばり笑えることである!」と。
ラフ。ニヤつく。腹を抱えて笑う。ニコニコする。嬉し泣きする。スマイル。死ぬまで続く人生において、これらに費やす時間の長い人間が「勝ち」です。これだけは断言できます。
お金は教養のないバカに効く
しかし、そうはいっても多くの人は「人生に勝つ」というと、なぜかすぐにお金に飛びついていきます。お金があれば何でもできるし、何でもできるということは、この世にある「一番笑えそうなこと」に触れる機会も多そうだから。
確かにそのロジックもわかります。
でも、それは本当でしょうか?
もしもそんな風にゲームの選択肢に迷ったときは、「先駆者の顔を見る」ことです。
つまり、自分が選ぼうとしている選択をした先駆者が、いま「自分が得ようとしているもの」を、どれくらいの割合でどれだけ得ているのか。それについて見てみるわけです。
たくさんのお金を持っている人間はどれだけ笑っているだろうか。その人間は「お金のない人たち」の中の「笑える人」に比べてどれくらいの割合なのだろうか、と。
結局のところ、僕は「笑える」ということ以上のことはないと思っています。「たくさんのお金」というのは、あくまで笑うための手段の1つです。それは「家の前にいるアリをただ眺めているだけで日中ずっと笑える」という性質には勝りません。
お金は「笑えない人」が笑うために、非常に役に立つアイテムなのは確かです。根が暗い人、すぐに気分が悪くなる人、教養のないバカな人。彼らにはお金がおすすめです。お金は鬱に効くし、バカにも効く。