過酷な体験から記憶喪失に
精神科医で「トラウマ記憶と被害者研究」団体の創立者であり、自らも6歳から10歳にかけてレイプ被害を受けていたミュリエル・サロモナ氏は語る。
「電線に定格以上の大電流が流れるとヒューズが飛ぶように、性犯罪の被害者は、あまりの恐怖に解離性記憶喪失を引き起こすことがあります。そのため、警察で事件について話そうにも、明確に覚えておらず証言できないことがあり、それが裁判で被害者を不利な状況に追い込んでいます」
近親姦の場合は、幼い頃から長期間にわたって加害者と同居せざるを得ないことも多い。レイプや虐待を受けても、翌朝は何ごともなかったかのように一緒に朝食を取るといった、過酷な生活の中で生き続けるために、マチルドさんのように、記憶喪失が30年も続くこともあるという。
マチルドさんの弟は、自殺前日、食卓で父親に、「なんでお前はいつも黙っているんだ?」と聞かれ、「僕たちにあんなことをしたくせに、よくそんなことが聞けるな!」と言い返したそうだ。マチルドさんは、「今思えば、『あんなこと』と言ったということは、彼は覚えていたのでしょう。鮮明なレイプの記憶を抱えて24年間生きていたのだと思う。私以上に苦しんだはずです」と言う。
「国際近親姦被害者団体」によると、近親姦の被害者の寿命は通常より20年短いという。
時効を設けるべきなのか
長期にわたる記憶喪失がなくても、近親姦の場合は、訴えるまでに時間がかかる被害者も多い。被害者と加害者が非常に近しい関係にあるため、家族や周囲への影響の大きさを懸念して悩むためだ。
新法の制定にあたって、被害者団体からは、公訴の時効廃止を望む声が多く上がっていたが、第三者が加害者の場合と同じく、レイプの場合は成年に達してから30年、性的虐待の場合は20年の時効が設けられた。
日本の場合は強制性交等罪(いわゆるレイプ)で10年、強制わいせつ罪で7年の時効が設けられており、フランスよりさらに短い。
誰もが見て見ぬふりをした:グアルド事件
2000年代にはグアルド一家事件が社会に衝撃を与えた。パリ近郊のセーヌ・エ・マルヌ県で、グアルド家の父親が、1971年から28年間にわたり、前妻の連れ子であるリディアさんをレイプし、6人の子どもを生ませていたのに、「家庭のプライバシーには立ち入れない」として地域社会全体が見て見ぬふりをしていた事件だ。
義父はトラックで巡回して注文をとる印刷工。血の気の多い乱暴者で、近所の人とも折り合いが悪かった。その反面、仕事はまじめで、しつけに厳しく「良い父親」とも思われていた。
村では、この一家の近親姦について知らない人はいなかった。リディアさんは妊娠中、病院で医師に「誰が赤ちゃんのパパ?」と聞かれると、「私の父です」と正直に答えていた。しかし誰も、眉一つ動かさなかったという。子どもたちはリディアさんの義父を「パパ」と呼び、親子関係は皆の知るところだった。