沼田和也さんが牧師を務める教会には、多くの相談者が訪れる。そこで特徴的なのは、女性の相談者は号泣することが多いのに対し、男性の相談者はほとんど涙を流さないことだ。沼田さんは「私自身、『男らしさ』の規範に囚われ、心を病んでしまった。彼らの気持ちはよくわかる」という――。
自宅の男は疲れとストレスを感じています
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「話を聞いて欲しいんです。夜も眠れません」

牧師をしていると、さまざまな苦しみを負った人が教会にやってくる。

仕事の悩みや、人間関係の悩み。なかでも印象的なのは、やはり夫婦や恋人同士の悩みである。プライベートな問題であるがゆえ、周りの友人知人も口を出しにくい。あるいは、そもそも口出しできない。

彼ら彼女らは法的な手続きをしたり、精神科に通ったりと、すでになすべきことはなしている。だが、「親しい友人にさえ話せない」という孤立感は、どこにも持っていく場所がない。

一人で抱え込む苦しみに耐えきれなくなったこのような人が、「おはなしを聞いていただけませんか」と教会にやってくるのである。本稿ではご本人の了解を得たうえで、具体的な事例を語らせていただこうと思う。プライバシー保護のため、詳細に若干の変更を加えてあることをお許しいただきたい。

ある日、「話を聞いて欲しいんです。夜も眠れません」と、一人の男性から連絡があった。

その男性は結婚し、妻とのあいだに子どもがひとりいる。

だが不幸なすれ違いのなかで、「夫がドメスティック・バイオレンスを行った」として、妻と子どもはシェルターに保護された。ところが実際に家庭内で暴力や暴言を受けていたのは彼だったというのである。

彼は自分の身の潔白を証明するために、女性から暴力を受けた際の、いくつかの診断書を保管していた。