養育費の8割が払われていないのは事実だが…

一方で現在、元夫による養育費の8割が支払われておらず、それによりシングルマザーの貧困が問題となっているという、決して無視できない一面が厳然と存在する。

わたしはかつて牧師として幼稚園の園長をしていたが、一日にパートを三つかけもちする母親もみてきた。シングルマザーたちは皆、厳しい労働とワンオペの子育てに疲れきっていた。ただその一方で、養育費をきちんと支払おうとする男性ほど心身共に追い詰められるという事態も、同時に起こっているのだ。

ちなみに、養育費の支払いが滞れば、差し押さえが行われることさえある。(※1)この事実は不況のなかで生活苦にあえぎ、しかも会うことのかなわぬ子どものために養育費を支払い続ける男性を、金銭的にのみならず精神的にも追い詰めるのである。

このような袋小路に陥った男性が、そのことを打ち明ける相手もいないまま、教会を訪ねてくるのだ。

(※1)https://www.tokyo-np.co.jp/article/12176

どんなに辛い相談でも涙を流さない男性たち

ところで、わたしは教会に訪問する人たちの、ある特徴に気づかされた。女性は涙を流しながら、あるいは号泣しながら、わたしに苦しみを話してくれることが多い。そしてその内容は「分かりやすい」。

分かりやすいというのは、苦悩の程度が大したことないという意味では決してない。教会に来ても余計な話はせず、何に苦しんでいるのか単刀直入に、簡潔に話してくれるということである。

だが、男性の多くはそうではない。もう何人もの男性の相談者と向きあってきたが、わたしの目の前で涙を流した男性は、いまのところたった一人である。

困った男
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男性の場合、会って最初のうちは、何を悩んでいるのか話してくれないことも多い。ただ雑談をしに来たように見える。彼らは笑いながら、ときには自嘲さえしながら、その深刻さを雑談のなかに慎重に混ぜ込んで、まるで他人事のように語ることがほとんどなのだ。

教会に来ただけでもよく話す気になってくれたと思うが、教会に来てさえこうなのである。もちろん、簡単に男性はこうだ、女性はこうだと決めつけられないとは思う。わたしが男性であるということも、来訪者の態度に影響を与えているかもしれない。

いずれにしても、わたしのところに訪れる多くの男性の姿をみるにつけ、男性が酒の力も借りずにしらふで、泣いて自分の苦しみを吐露することの困難を想わずにはおれないのである。