「見世物要因」として利用されていた当事者

このエピソードには後日談がある。私は、学校から登壇を許可されなかったことの釈明と謝罪をしに、あらかじめお願いしておいたダルク職員を訪れた。

彼は、苦笑まじりにこう語った。

「そういうのはいまだにときどきありますね。それでも、最近は少しずつ講演に呼んでくれるところも出てきましたよ」

そういうと、にやっと自嘲的に笑ってこう続けた。

「ただ、変な注文をつけられますけどね。たとえば、『スーツでバシッと決めて、みたいなかっこいい服装でこないでください。できれば古いジャージとか、ヨレた感じの服装でお願いします』とか」

少なくとも20年前、学校が当事者を呼ぶのは、あくまでも反面教師もしくは「廃人」の見世物要員としてだったのだ。

最近10年ほどであろうか、わが国は薬物に手を出した人に対して異様なまでに厳しい社会となった。ターニング・ポイントとなったのは、やはりあの女優の事件だったと思う。

あの事件以降、芸能人の薬物事件報道は年々過激さを増してきた。特にテレビのワイドショー番組がひどい。したり顔のコメンテーターたちに逮捕された芸能人を非難させ、ところどころで街頭インタビューで拾った一般人の、「がっかりした」「もうファンを辞めます」といった声を差し挟むなど、人々の処罰感情を煽ることに余念がない。

過剰な報道が薬物依存症からの回復を妨げている

奇妙な慣習もはじまった。それは、保釈時には警察署の前で深々と頭を下げて謝罪し、その後は、マスコミ関係者による車やバイク、さらにはヘリコプターまで動員した追跡を甘んじて受け容れる、というものだ。

誰かが公式に決定したわけではないが、いつしかそのような雰囲気が醸成されてしまった。

それだけではない。「どうやら専門病院で依存症の治療を受けるらしい」という噂が出回れば、首都圏のめぼしい専門病院に多数の報道スタッフが詰めかけ、スクープショットを狙うのだ。病院は安全とはいえない。

といって、自宅に戻れば戻ったで、マスコミは自宅に押し寄せ、本人どころかその家族にまでマイクを向けてインタビューを試みる。おそらく保釈された芸能人は、しばらくは偽名でホテルを転々とするしかなく、自宅に寄りつくこともできないだろう。明らかに人権侵害だ。

スーツの人にマイクを向けインタビューするジャーナリスト
写真=iStock.com/microgen
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もちろん、マスコミなりの正義はあろう。実際、「これもまた社会的制裁の一部であり、こうした報道自体が乱用抑止に貢献している」と、自分たちの私刑を正当化する番組プロデューサーと会ったことがある。

だが、こうした報道が、薬物依存症からの回復を妨げていることを忘れてはならない。

連日のワイドショー番組での厳しい論調を聞いているうちに、「いくら頑張って薬物をやめても、自分が戻れる場所はもうない」と絶望し、治療意欲を阻喪してしまう患者はかなり多い。

そして、番組で頻繁に挿入される、覚せい剤を彷彿させる「白い粉と注射器」のイメージショットが、薬物依存症患者の薬物渇望を刺激するのだ。その結果、薬物を再使用してしまうケースも少なくない。