薬物依存症の回復者と一緒に登壇しようとしたが…
怒鳴るだけでは足りずに、竹刀で演壇を思い切り叩く教師もいる。
なるほど、そうすれば生徒たちのざわめきは瞬時におさまる。だが、重苦しく気まずい静けさのなかで、講師である私の意欲はすっかり萎え、冷え切っている。考えてもみてほしい。
あの、竹刀で叩かれた演壇に立たなければならないのだ。気分の悪いことこのうえない。
こうした場面に遭遇するたびに、私は自分の中学時代を思い出さずにはいられない。40年前、校内暴力の嵐が吹き荒れる前にも、この種の教師がいて、暴力による脅しと恥辱的な罰によって生徒たちを沈黙させていたのだった。
薬物乱用防止教室には苦い思い出がある。20年ほど昔、私はある中学校から薬物乱用防止教室の講師として依頼を受けた。当時まだ駆け出しだった私には、とてもハードルの高い仕事だった。
医学生相手と同じ調子で、さまざまな薬物の効果や健康被害を羅列的に話そうものならば、生徒たちは麻酔にかかったようにあっという間に意識を失ってしまう。どうにかして生徒たちの集中力を切らさない方法を考える必要があった。
そこで、私は一計を案じた。それは、ダルク(民間の依存症リハビリ施設)の職員をやっていた、薬物依存症からの回復者に私と一緒に登壇してもらい、自身の体験談を話してもらう、というものだった。
医者の冗長で単調な話なんかよりはるかにリアリティがあり、生徒たちの関心を惹きつけるはずと考えたわけだ。
ところが、私の提案は学校側からにべもなく却下されてしまった。理由は、「薬物依存症の回復者がいることを知ると、生徒たちが「薬物にハマッても回復できる」と油断して、薬物に手を出す生徒が出てくるから」というものだった。
「生徒たちを震え上がらせてほしいのです」
電話での事前打ち合わせの際、校長からはこう念を押された。
「とにかく先生にお願いしたいのは、薬物の怖さを大いに盛って話していただき、生徒たちを震え上がらせてほしいのです。一回でも薬物に手を出すと、脳が快楽にハイジャックされて、人生が破滅することを知ってほしいんです」
わかってない。後に薬物依存症に罹患する人のなかでさえ、最初の一回で快楽に溺れてしまった者などめったにいないのだ。快感がないかわりに、幻覚や被害妄想といった健康上の異変も起きない。
あえていえば、多くの人にとってのアルコールや煙草がそうであったように、初体験の際にはせいぜい軽い不快感を自覚する程度だろう。
つまり、薬物の初体験は「拍子抜け」で終わるのだ。若者たちはこう感じる。「学校で教わったことと全然違う。やっぱり大人は嘘つきなんだ」。その瞬間から、彼らは、薬物経験者の言葉だけを信じるようになり、親や教師、専門家の言葉は、耳には聞こえても心に届かなくなる。これが一番怖いのだ。