「お前のいうことは間違い」という理不尽

私は今、現代の最も興味深く最も素晴らしい論理学者の一人である、グレアム・プリースト(ニューヨーク市立大学特別教授)と共著を作っており、プリーストはドイツに一カ月滞在していました。もしわれわれ二人が、「相手が論理のレベルで何か間違いを犯した」と互いに思ったら、我々の間には対立が生まれます。私は反論するでしょうし、彼も反論してくるでしょう。プリーストが「お前は間違っている」と言い、私は「お前こそ間違っている」と言い返す。

マルクス・ガブリエル『つながり過ぎた世界の先に』(PHP新書)
マルクス・ガブリエル『つながり過ぎた世界の先に』(PHP新書)

でもわれわれは科学者、哲学者です。そうやって怒鳴り合う代わりに、二人で椅子に腰かけてこうやって話すことができるでしょう。

「さて、君は何と言った? なぜそう思ったんだい? その意見を裏付けるものは? 君が間違いを犯したと僕が思うのは、こういう理由からだよ。裏付けはこうだ」。それから賛否をリスト化して、最後にそれを二人で眺め、合理的な根拠を検討するのです。そのようにして導き出される結論は、お互いの妥協点のどこかに落ち着くでしょう。

彼の信じることには私の見解より優れたところがあるでしょうし、私の信じることにも彼の見解より優れたところがあるだろうからです。それを統合したら、よりよい信念のシステムが生まれます。これが哲学的なディベートの仕組みです。

もし議論がただの反論になってしまったら──例えば「あなたみたいな人たちは、いつも同じことを言う」──こんな言葉は、ディベートの場で出すべきではありません。「あなたみたいな人たち」という時点で、お話にならない。こうしたやり取りは、すべてロジカルな議論の基本法則に基づいて行われなければなりません。

人格攻撃論法は許されるべきではない。人格攻撃というのは、「お前が言うことは間違いだ。なぜならお前が言うからだ」という考え方ですが、それが正しいことは決してありません。ただの誤謬です。

【関連記事】
ブッダの言葉に学ぶ「横柄でえらそうな人」を一瞬で黙らせる"ある質問"
富裕層は「スマホ」と「コーヒー」に目もくれない
「仕事やお金を失ってもやめられない」性欲の強さと関係なく発症する"セックス依存症"の怖さ
月収44万68歳の悩み"暇で暇で死にそう"