地元の信用金庫との再編が前提になれば…

第二地銀の一部で協同組織金融機関への回帰が真剣に議論されている。今国会で関連法の改正を目指して準備している金融庁関係者がその実情を打ち明ける。

東京都千代田区にある金融庁
撮影=プレジデントオンライン編集部
東京都千代田区にある金融庁

「第二地銀は地域金融の有力な担い手であるが、より規模の大きい地銀に優良な地元企業を押さえられる一方、中小・零細企業は信用金庫に侵食されている。いわばサンドイッチのように圧迫される構造的な問題を抱える。そこにマイナス金利の象徴される超低金利が追い討ちをかけ、将来の展望が描きづらい状況に陥っている」

その打開策として他行との再編を模索している第二地銀も少なくないが、「再編相手として地元の信用金庫を加えてはどうかと考えている。その場合、自行が協同組織金融機関に戻る必要が生じる」(ある第二地銀幹部)というのだ。

そもそも第二地銀の発祥は無尽会社で、戦後、協同組織金融機関の一形態である「相互銀行」がルーツ。それがバブル経済の走りの1985年に相互銀行業界を挙げて普通銀行に転換したいと行政に要望した。「相互銀行から地銀と同じ普通銀行に転換することで、業務・業容の拡大を目指したものだった」(第二地銀幹部)という。

浮上した「協同組織金融機関」への先祖返り

同時に行政もこの流れを後押しした。「当時の大蔵省銀行局内には、相互銀行を地銀と合併させる構想があって、そのために相互銀行を普通銀行法に基づく地銀に格上げすることで両者の根拠法を揃えようという考え方があった」(大蔵省OB)というのだ。

その結果、1985年に65行あった相互銀行のほぼすべてが1989年に「金融機関の合併及び転換に関する法律」(合併転換法)に基づき一斉に普銀転換した。

今、一部の第二地銀が検討しているのは、この歴史の流れを元に戻そうというものだ。実際、相互銀行は普通銀行に転換した当初はバブルの波に乗り、業容を拡大させたが、バブル崩壊とともに不良債権の山を抱え、破綻や救済合併される悲惨な結末を招いた。「相互銀行のままであれば、違う歴史もあったはず」(第二地銀幹部)というわけだ。

また、協同組織金融機関に戻ることは3つのメリットがある。

1つ目には、営利を最優先しない見返りに税制面の恩典があること。2つ目には、株式を上場しなくてよくなるため、不要な上場コストが削減できる。さらに3つ目は、買収リスクにもさらされなくてすむ。

プライドを捨てれば、浮かぶ瀬もあるということだろう。