貧民から天下人になった豊臣秀吉は、今も人気が高い“英雄”の一人だ。『毒親の日本史』(新潮新書)を出した古典エッセイストの大塚ひかりさんは「その異常なまでの立身出世や功績の裏には、教科書には載らない苛烈な育ちがある」という――。
※本稿は、大塚ひかり『毒親の日本史』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
日本史は「毒親」であふれてる
子供の人生を奪い、ダメにする「毒親」は、近年、盛んに使われだした言葉ですが、もちろん急に親が「毒化」したわけではありません。
古代から日本史をたどっていくと、実はあっちもこっちも、今でいう「毒親」だらけです。日本の主な争乱は、みな身内の争いだったといっても過言ではありません。とはいえ権力者の毒親ぶりは、一般のそれと比べると、あまりにスケールが大きく、また、それに負けない「毒子」も登場します。
今回ご紹介する、秀吉もまさにそんな最強の「毒子」といえます。
皆さんはシェイクスピアの『リア王』をご存知でしょうか。実はこのリア王ほど、あからさまな毒親はいません。まさに毒親の典型例で、秀吉の残酷な行為を考える上で、大きなヒントとなりますので、まずはこちらのあらすじをご紹介しましょう。
ブリテン王であるリア王は、老いたために、3人の娘に領土を分けることにしました。その際、誰が自分を一番大事に思っているかを問題にします。
長女と次女は、表面だけの偽りの愛情を示して、領土を分けてもらいました。ところが、最も可愛がっていた三女が期待通りの返答をしなかったため、三女には何もやらず、フランス王と結婚させて国から追放してしまいました。