完全主義者の欠点「ピンチに弱い」

ただし三成の場合、梶原景時とは違って失脚しても命までは奪われず、隠居ということで済みました。それで関ヶ原で、もう一度表舞台に出てきたわけです。

しかし「人間がよくわかっていない」という欠点はそのままだった。それに彼は、ピンチにも弱い。これも僕自身、痛感していますが、ピンチのときにどこまで耐えることができるかで、人はその価値を計られるところがある。ピンチとは、マイナスになることが避けられない事態を意味します。そこでマイナスを最小限に食い止めて、反撃にでることができるかどうか。三成は、それがまったくできなかった。そこは完全主義者の欠点なのかもしれません。計画が少しでもうまく行かないと、それでパニックになってしまう。

チームワーク
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たぶん関ヶ原に布陣したときの三成は「俺はやるべきことを完璧にやった。だから偉い」という心理があったと思います。しかし現実は、机上の計画のようには進まない。

そして実際、関ヶ原では三成にとって大きな計算違いが起こってしまいます。

現場のエースを関ヶ原に送り損ねた「計算違い」

まず起こった計算違いとして、大津城で京極高次が突如東軍に寝返りました。三成はそれに「絶対許さん」ということで、立花宗茂、小早川秀包こばやかわひでかねという西軍最強の精鋭部隊を送りこんでしまう。

京極高次は6万石の大名に過ぎません。動員能力はどうがんばっても2000人ほど。言ってしまえば雑魚。それに大津城とは、ただ京都に近いというだけの城。それが寝返ったからといって、なにほどのこともない。手当てする程度の部隊を送っておけばそれでよかった。

しかし完全主義者は、予想外の事態が許せないのでしょうか。あるいは気が動転してしまったのかもしれない。

立花宗茂と小早川秀包は、両方とも10万石程度の大名。それこそ2000人ぐらいの部隊ではありますが、彼らは朝鮮で戦ったときも、お互いに助け合って力戦した武将です。会社でもいますよね。それほど大きな権限は任されていないが、現場ではエースという人。

そのエースを、よりにもよって雑魚相手に派遣してしまった。そのため、ふたりとも「関ヶ原の戦い」に間に合っていません。戦う気は満々だし、戦もうまいしで、もっとも頼りになる部隊だったのに参加できなかった。その影響は相当に大きかったはずです。