「親子」と「parent and child」は違う
そもそも、parent and childということばはどうでしょうか。たしかに、parentが親で、childが子どもですから、それは親子ということばの訳語として間違ってはいません。
しかし、日本語の親子と英語のparent and childとでは、ニュアンスは相当に違うのではないでしょうか。
英語ではただ、「親と子」のことをさしているだけで、「親子」という日本語が示すような両者の密接な関係はまったく表現されているようには思えません。
日本では、親子という表現は頻繁に使われても、英語では、parent and childという言い方が日常的に使われたりはしないのです。
「親と子」と「親子」は、さしているものは同じでも、その意味、ニュアンスは大きく異なるのではないでしょうか。
日本は、親と子を区別した上で、両者が一体の関係にあることを自覚している。そういう社会なのではないでしょうか。
中世ヨーロッパに「子ども」は存在しなかった
そんなことは、日本に限らず、どの社会でも当たり前のことではないか。そう思われるかもしれません。
親がいて、子がいる。親は子どもを育てる立場にあるわけですから、そこには自ずと上下の関係が生まれてくる。私たち日本人はそれが普遍的であるように考えます。
しかし、どうもそうとは言い切れない。私は長くそう考えてきました。
このことに関連して思い出される本があります。それが、フィリップ・アリエスが1960年に刊行した、『〈子供〉の誕生:アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』(杉山光信・杉山恵美子訳、みすず書房)という本です。日本では80年に翻訳が出ますが、その当時、かなり話題になりました。私も、刊行された直後に、翻訳でこの本を読みました。
アリエスはフランス人の歴史家です、けれども、大学で研究した経験を持っていないため、「日曜歴史家」とも呼ばれました。そうした著者の経歴を含めて注目が集まりました。
アリエスは、膨大な史料を駆使して、中世のヨーロッパ社会では、大人と子どもを区別する考え方がなかったという主張を展開しました。中世には、子どもは存在しなかったというわけです。
アリエスがとくに注目したのが、教育ということです。中世の時代のヨーロッパには、教育という考え方がなかったというのです。したがって、現代なら子どもとされる年齢の人間たちは、大人と変わらないものとして扱われていました。だから、年齢が若い者たちが飲酒をしても、恋愛をしても、それは何ら問題にされなかったというのです。そして、大人も子どもと入り交じって遊びに興じていました。