「大人」と「子ども」の間に明確な区別がない

時代区分というものは、国によって異なります。日本だと、中世は、平安時代の終わりになる11世紀から、戦国時代が終わる16世紀までをさすことが多いのですが、ヨーロッパについては、5世紀から15世紀くらいまでが中世と考えられています。

中世が終わり、近世がはじまる16世紀から17世紀にかけては、ヨーロッパで教育ということが強調されるようになります。そうなると、教育の対象にならない大人と、対象になる子どもとが区別されるようになりました。そして子どもは「純粋無垢」な、大人にとって愛すべきものとしてとらえられるようになったのです。

アリエスは、ヨーロッパにおいて学校制度が整備され、近代に向かっていくことで、子どもという概念が生み出されたという分析を展開しました。それが彼の言う子どもの誕生ということなのです。

しかし、現在のヨーロッパにおいては、依然として大人と子どもとはあまり区別されていないのではないかという印象を受けます。

たとえば、アリエスの国であるフランスでは、スーパーマーケットなど公共の場所で子どもが騒いでいると、周囲から顰蹙ひんしゅくをかいます。子どもであっても、しっかりと社会性を身につけていなければならない。こうした考え方が生まれてくるのは、子どもと大人との間に明確な区別がなされていないからではないでしょうか。

フランス社会には、むしろ大人がいないのではないか

コロナ禍でも、フランスのそうした傾向があらわになったと言えるかもしれません。フランス在住の日本人が書いた「フランスのコロナウィルス感染第二波が来るのは当然だった…」(RIKAママ、World Voice)という記事を読んだのですが、コロナの感染拡大に対するフランス人の姿勢は、大人であっても、まるで子どものように思えるからです。

新型コロナで閉鎖されたノートルダムのガーゴイルにマスク
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まず、衛生観念が欠けています。著者は、「政府からの呼びかけのテレビコマーシャルなどでは、ビズー(頰と頰と合わせてチュッチュッと挨拶する)やハグ、握手はやめ、人との距離を取りましょう、手を洗いましょう、さらには、一回使ったティッシュは捨てましょう……などと呼びかけているのには、日頃の衛生観念とモラルの低さを感じさせます」と述べています。フランスでは一度使ったティッシュをポケットにしまって、また使う人が少なくないのです。

あるいは、フランス人が何より好むバカンスの期間に夜間の外出が禁止されると、「外出ができる地域に移動するか、もしくは家族や友人と家に集まって騒ぐのです」となってしまうわけです。

大人とは違う子どもという概念は誕生したのかもしれませんが、フランスの社会にはむしろ大人がいないのではないか。そんな気がしてきます。