1975年の山陽新幹線全線開業で、581系は寝台特急専門になった。井上さんが点検した1977年ころは、京都・西鹿児島間の寝台特急「なは」などとして走っていた時期にあたる。
「寝台特急ですから、お客さんは明け方にいっせいにトイレを使います。お勤めを終えて車両基地に入ったばかりの車両を検査する場合は、下部にはまだ生々しいものがベッチョリ付いている状態でしたね」
トイレの近くの車両はとくにすごかったそうだ。
「毎日走っていますから、時間が経ち乾燥したものがこびりついていました。車両と車両を連結する脇に空気配管のホースがあり、これには製造年月日が記入されています。ところが、ここにウンチがこびりつき文字はまったく読めませんでした。しかたがないので、点検用のハンマーのとがった側でこそぎ落としました」
寝台特急のブルートレインの「黄害」
井上さんの話は実にリアル。旧国鉄職員は皆、若い時代に大変な苦労をしていたのだ。そして井上さんは、さらに現場をよく知る、保線ひと筋の人を紹介してくれた。
保線とは、電車が安全に走行するために線路を確認し、メンテナンスを行う部門だ。線路が老朽化していないか、ポイント(分岐)が正常に稼働しているか、枕木が損傷していないか、線路上に石などの異物が置かれていないか……。毎日、慎重に確認している。
保線の人達のおかげもあり、日本の鉄道は安全に走行し、しかも他国には例のないほど正確なダイヤを守り続けている。
2020年の長い梅雨が続いていた7月、神奈川県へ向かった。井上さんに紹介された保線ひと筋40年の旧国鉄職員、Iさんに当時の話を聞くためだ。
1960年代に国鉄に就職したIさんは保線の現場で働き、民営化でJR東日本になって以降は、グループ会社の役員を歴任している。
「国鉄・JRの開放トイレで一番大変だったのは寝台特急のブルートレインです。東京から九州各県まで走っていましたでしょう。距離も時間も長いから、ほとんどの乗客がトイレを使います。日本中に撒き散らしていました」
逃げ場がなかったトンネル内
寝台特急のトイレ事情がもっとも深刻だったというのは、井上さんもIさんも同意見だ。そして、Iさん自身のもっともつらい経験は、神奈川県全域に加え東京や静岡の保線区域で働いていた時期だという。
「保線の作業をしていると、列車がビューッと通り過ぎて、屎尿を飛ばしていきます。とくに厳しいのが、東京と三浦半島とを結ぶ横須賀線のトンネルでした。横須賀線が湘南区域に入ると、北鎌倉から衣笠の間に9つもトンネルがあります。そのなかでも、横須賀駅と衣笠駅の間の横須賀トンネルは2キロ以上。長時間の作業になります。その間に、次々と列車が通過していくわけです」