トイレで流したうんちは、どう処理されるのか。ジャーナリストの神舘和典氏と編集者の西川清史氏が、横浜市鶴見区の「北部第二水再生センター」を取材した。うんちが処理され、「汚泥ケーキ」になるまでの過程を紹介しよう——。

※本稿は、神舘和典、西川清史『うんちの行方』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

雨の日のマンホール
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横浜の「北部第二水再生センター」へ

北部第二水再生センター(横浜市鶴見区)の正式名称は「横浜市環境創造局 下水道施設部北部下水道センター」。生麦近くの海辺にある。

江戸時代の末期、1862年に薩摩藩の島津久光の行列に、馬に乗ったイギリス人の男女4人が乱入した。大名行列がいかなるものかを理解していなかったのだろう。いきり立った藩士たちは4人に切りかかり、そのうちの一人、チャールズ・レノックス・リチャードソンが斬殺された。それが薩英戦争の引き金になった生麦事件だ。

この歴史的な出来事があった生麦の南方の沿岸部を埋め立てたところに、北部第二水再生センターはある。トラックが行き来する産業道路から海に向かってどんどん進み、人気がなくなったエリアだ。

人口約370万人の横浜市には汚水・下水を浄化する水再生センターが11か所あり、うち5か所は日量20万トンの下水を処理する能力を持っている。その一つが北部第二水再生センターである。

明治初年、建設当時の下水道は煉瓦製。卵のとがった方を下にしたような、楕円の大下水道が地下鉄工事の際に見つかっている(現在、センターの入り口に一部が展示されている。小平市ふれあい下水道館の展示資料によると、横浜中華街南門通りで一部が使われているそうだ)。なぜ卵形かというと、ウンチや生活排水の油が内壁にこびりつかず、かつ流量が少ない場合でも流れやすいためだ。