「楽」ではなくても、「楽しむ」ことはできる

私の場合はもう少し色気があるので、誰かに使ってもらいたくて、お地蔵さまと言葉を手描きした日めくりを作りはじめました(ライフワークになる予感がしています)。

他人が何と言おうと、自分が面白く、楽しければそれでいいのです。

他にも、机の上や本を開いたときにあわてて動きだす極小の虫がどこへ行こうとしているのか見守ったり、自分の前を通る人の男女の数を数えたり、車で移動するときは目に入る文字をすべて滑舌よく発音したりと、私はぼーっとしているヒマがありません。

誰が何を言おうと、自分が面白く楽しければ、それでいいのです。

大切なのは、楽ではなくても、楽しむことはできるという信念を持つことです。

宇宙ステーションに数カ月から数年にわたって狭い空間に長期滞在するクルーたちが、何をして自由時間を使っているか、調べたことがあるそうです。

四十五分ごとにやってくる荘厳な日没と日の出を見るだけでも壮観でしょうが、彼らは自由時間に音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を観たり、地球の人とメールしたり、インターネットを見たりして過ごしているそうです。

ごく普通の過ごし方ですが、責任重大で過酷なミッションをこなしている彼らには、“普通の過ごし方”がストレスをためない最も効果的な方法なのかもしれません。

宇宙空間にある国際宇宙ステーション
写真=iStock.com/3DSculptor
※写真はイメージです

息を吐くときは、イライラを吐き出すつもりで

仏教で瞑想めいそうや座禅に入る前には呼吸を整えますが、息を吐くとき(呼)に煩悩を吐き出すイメージをすることがあります。これを応用して、息を吐くたびにモヤモヤやイライラを一緒に吐き出すイメージをするだけでも、心がすっきり、軽くなるものです。

釈迦の弟子の中には「ちりを払え」とつぶやきながら掃除ばかりしていた人が悟りを開いたという話も残っています。

「塵を払え」は「心の塵を払え」に通じていたのです。

日常の中で、何かモヤモヤがたまっていたり、小さなイライラに気づいたら、何か面白いこと、楽しいことを探して、それをしている間に心の中のわだかまりが解け、発散されるイメージをしてみてください。あなどれない良い効果があるものです。

「面白いことを見つける」「楽しいことを見つける」、それ自体が知的な遊びのようなものです。