週刊誌に売り込むやり方は非難されないのか

圭と眞子さんの婚約を知った件の男性は、弁護士に相談するが、「借用書がなければ裁判で勝つことは難しいと言われてしまいました」。するとこの男性、週刊女性にこのトラブルを自らタレこみ、それがために、納采の儀は2年延期されてしまうのである。

封筒
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週刊誌を始めとするメディアの小室母子バッシングの大義名分は、「借りたものは返せ」というものである。女性自身で小田部雄次静岡福祉大名誉教授がいうように、借金であれ贈与であれ、元婚約者が金銭的援助をしてきたのが事実なら、相手に感謝や謝罪がないのは、「一般的な社会通念からしても異常な感覚と言わねばなりません」という“良識”が、小室母子だけでなく、秋篠宮家批判へとつながっていくのだ。

だが、私が以前から主張しているように、婚約解消から5年も経ち、小室圭が皇室の女性と婚約したのを知って、弁護士からも「返済を求めるのは無理」だといわれているのに週刊誌に売り込んだ元婚約者の、「一般的な社会通念からしても異常」なやり方は、なぜ非難されないのだろうか。

読者には「悪女像」が刷り込まれる

女性自身には、夫の死後、夫の遺産相続がどうなるか悩んでいた佳代のために、夫の実家に委任状をもって会いに行き、話をつけてきた元喫茶店経営者の話が出ている。

話をつけてあげたのに、ある日、佳代の父親らしき人間と来て、いきなりカネの入っているであろう封筒を差し出し、「手を引いてくれ」といわれたという。親切心で橋渡しをしてあげたのに、何といういい方かというのである。

その人間がいうには、「旦那さんの話をしながら、佳代さんは涙ひとつ見せなかった」「圭くんの前で平気で自殺の話」をしていたという。

これを読んだ読者には、冷酷で、利用できる人間は誰でも利用する自己中心的で、「なりふりかまわず、“幸せ”をつかみ取ろうとしてきた佳代さん」(女性自身)という悪女像が刷り込まれるのである。

極めつけは最後のシーン。同僚と別れてショッピングモールで買い物をして出てきた佳代に、記者が「お仕事ご苦労さまでした」と声をかける。するとピタッと足を止め、ふいに記者のほうに向き直り、

「マスク越しにも“作り笑いですよ”と、ハッキリ伝わる不自然な笑みを記者に向け、絞り出すようにこう言った。『ご苦労さまでございました』」

この描写に“悪意”を感じるのは私だけだろうか。