ステージの真ん前に柱がドーンとそびえたり、アンコールのいいタイミングで必ず貨物列車が通過したり、コンサートホールのように音楽を聴くのに最適な環境とは言い難いライブハウスも多数ある。だが、コロナ禍で足が遠のいた今となって思い返すのは、それさえも“ハコの味”だったという哀愁だ。聞こえ方や感動の伝達がすべて異なるライブハウスの味を、配信でどう伝えるのか? それを伝わらないものと片付けてしまっていいのだろうか。コロナ禍において業界全体に与えられた課題のようにさえ感じる。

後顧こうこの憂いとばかりに、さまざまな視点からライブの変化に危機感を募らせる後藤。それならと、数年前から業界を席捲している“音楽の聴き方に対する変化”についても意見をたずねた。言わずもがな、レコードやCDの“盤”を購入するより、配信で購入する人が多数という時代だ。好きな音楽を好きなだけダウンロードして聞く人が増えた昨今。それでも後藤は、“配信至上主義”にはならず、音楽の配信自体はとても好意的に受け止めているという。

後藤正文氏
撮影=遠藤素子

誰もが音楽に一言あるような文化になれば

「配信でいいという人は一定数いるし、むしろ配信でも何でも音楽を聴く人が増えた方がいいと思います。誰のスマホにも何らかの音楽配信アプリが入っている時代になれば、インディーレーベルまで潤うかもしれない。それくらいまで普及すべきで、もっと分母が広がれば生で聴きたい人の数も増えるかもしれない。逆に、ライブやコンサートでしか味わえない音楽というのが、ある種の希少性を生んでいくはず、とも思うんです」

さらに後藤の思惑は、誰もが配信で聴く世界がもたらす“音楽社会の未来像”にも言及する。

「だって、好きになる方法は色々あるから。配信だけで音楽をガンガン聴いているとしても、音楽がそんなに好きな人がいることは単純に嬉しい。オジサンがプロ野球の采配に一言あるように、みんなが音楽に一言あるような文化になっていくといよいよ面白くなってきますよね。草野球やフットサルみたいな感じで、誰もが音楽をやるような文化が広がれば……楽器やDJはプロじゃなくてもやっていいんだと思える時代になれば、音楽の裾野が広がるし、その価値観も変わるはずです」