「この世は生きるに値する」言葉に込めた思い

そんなコロナ禍において、アジカンとして昨年10月にニューシングル『ダイアローグ/触れたい 確かめたい』を、後藤正文ソロとして12月に新曲『The Age』を含むニューアルバム『Lives By The Sea』という作品を世に送り出した。今回はソロ作品に込めた想いを聞いた。

♪君の手 君の声
この世は生きるに値する
大丈夫 聞こえる
Life goes on
耳澄ませて 目を凝らして
ほら 遠く向こう
The age is moving on(『The Age』より)

「コロナ禍で仕事が全てなくなってしまったことで、空白のような静かな時間ができました。将来や現状に対する不安はあったのですが、楽曲制作をするにはとてもいい時間だったと言えます。他のことに一切邪魔されなかった。

『Lives By the Sea』
『Lives By the Sea』

その時間を使って取り組んだのが「Lives By The Sea」です。長年温めていた構想と、現在の世情に合わせて反射的に紡いだ言葉が重なったアルバムだと思います。「The Age」は、社会や時代に対する反応が色濃く出た曲で、最後の「この世は生きるに値する」は、悲しいニュースに埋め尽くされて心が折れそうな仲間たちや、同じ思いを抱えて今を生きる人たちの背中を優しくポンポンと叩くような、そういうイメージで咄嗟に湧き出てきた言葉です。録音の日に思いついて追加で吹き込みました。

アルバムを通じて、ままならない人生も少しだけ愛せるような、そういう体験を聴いた人たちがしてくれたらうれしいです」

たとえ、非常事態が繰り返されても

あるインタビューで、後藤はソロ活動について「アジカンが標準語なら、ソロは語尾に「~ら」をつけて故郷の静岡弁で歌っている感じ。よりパーソナルな表現になる」と、その違いを独特に表現している。バンドと違い、隣に座ってささやくように、語りかけるような歌い方。時代を語るのは自分自身だと問いかける曲は、アジカンとは違う等身大の魅力を、世話に砕け手渡しで届けてくれる。

後藤正文氏
撮影=遠藤素子

コロナが落ち着いたとしても、当然、これからも感染症の脅威はあり、その都度、ライブハウスやイベントは閉鎖に迫られるかもしれない。そういった非常事態が繰り返されても、ミュージシャンであることを守り続けたいという信条を、後藤は「商業音楽のカルマ」と覚悟を込めた表現で見晴るかす。

「音楽が商業化して、大きな産業になっているからやりにくくなっている面もあると思います。責任が伴うから。アジカンのライブでクラスターが起きると、自分たちだけの問題だけでなく、業界そのものが悪く見られる可能性があって、やっぱりライブハウスは危険なんだとなる。パンパンに観客を入れないと成り立たないようなやり方をしているのであれば、それが問題であるし、大規模になればなるほど収益を考えなければいけない構造になっています。これは音楽を商売にしたから生まれた、カルマ(業)ですよね」