穏やかではない。長い間耐え抜いてきた眞子さんが、決意の文書を書き、両親も承諾してくれたのに、父親が自分の会見で「ちゃぶ台返し」をするなんてことがあるのだろうか。

「結婚と婚約は違いますから」の真意とは

週刊文春によれば、眞子さんがお気持ちを発表した直後に、宮内庁には抗議の電話が殺到したという。

「結婚するなら、いますぐ皇籍離脱して、一時金も辞退すべきだ」
「皇室はもう終わりだ」

こうした心無い人間はごく一部だと思う。

私にも経験があるが、娘を他の男にとられる父親の心境は複雑なものである。ましてや、週刊誌やワイドショーで悪い噂を洪水のように流された相手となれば、秋篠宮が優柔不断になるのも分からないではない。

そうしたとき、世間の多くの父親は、娘とその結婚相手を呼びつけ、その人物がどういう人間なのか、娘を幸せにすることができる人物なのかを見極め、結婚するにあたっての相手の覚悟のほどを聞き出すはずである。

ましてや、秋篠宮は人間的にも非常に優れた方だと聞いている。週刊誌が書いているようなことを口にするはずがない。

最後の言葉は、「結婚は両性の合意のみに基づくのだから、2人が望んでいるこの結婚を、私は反対はしないし、できるわけはない」と読むのが正しいのではないのか。

両親も結婚内定まで3年以上かかった

秋篠宮も紀子さんとの結婚までに、いくつもの障害があった。

週刊ポスト(12/18日号)によれば、秋篠宮が紀子さんにプロポーズしたのは1986年6月、秋篠宮が20歳のときだったという。

しかし、婚約内定までに3年以上がかかった。89年1月に昭和天皇が崩御されたこともあったが、もっとも大きかったのは皇室で初めての“自由恋愛”だったことだったそうだ。

「紀子さまのお父様は学習院大学の教授で、川嶋家は校内にある3LDKの教職員住宅が住まいでした。当時、宮内庁関係者の間で“普通のお嬢さんで釣り合いが取れるのか”という声があったのも事実。まだ兄の浩宮さま(現・天皇)がご結婚されていなかったこともあり、懸念を示す声も多かった」(宮内庁担当記者)秋篠宮が、結婚できないのなら皇籍を離脱するという主旨の発言をしたという情報も飛び交った。

自由恋愛、周囲の反対で結婚まで3年以上かかった、皇籍離脱も辞さない。歴史は繰り返す。

今、長女が自分と同じ苦しみを味わっている。そう秋篠宮が考えていると推測することは、私だけの“妄想”ではないはずだ。

秋篠宮発言がとやかく憶測されている中、週刊現代(12/5日号)で、金銭トラブルを週刊誌に売り込んだ張本人である、小室圭の母親・佳代の元婚約者が爆弾発言をしたのである。

なぜこの時期にという大きな疑問がつくが、内容を紹介してみたい。