米中新冷戦の時代、日経平均は30万円になる!? 荒唐無稽にも聞こえる予想を立てるのは、近著が発売後即売り切れになった今注目のエコノミスト、エミン・ユルマズ氏。米中対立の激化を早期から提言していた天才トルコ人が、日本株に対して楽観論を持つ理由とは――。

リーマン・ショックで人生が変わった!?

私がトルコから日本に来たのは1997年。大学進学のためでした。16歳のときに国際生物学オリンピックで優勝して、海外留学の奨学金を受けられることになり、留学先を検討。その頃、トルコの学生の主な留学先は欧米で、日本に留学する人はいなかった。私は、スーパーマリオなどの日本のゲームやアニメに親しんで育った世代で、日本には親近感を持っていました。しかし、当時、世界第2位の経済大国だった日本の情報はトルコでは少なく、留学によって学べることが必ずあるはずだと考え、日本への留学を決めたのです。

複眼経済塾株式会社取締役・塾頭 エミン・ユルマズ氏
複眼経済塾株式会社取締役・塾頭 エミン・ユルマズ氏

東京大学に入学し、大学院を修了したあと、野村證券に入社しました。金融業界は、いろいろな人と触れ合えるところに興味を持ちました。金融は日々変化して生き物のようだし、お金は血液と同じで、必要なところに流れないとそこが死んでしまいます。金融は、社会のなかで必要なところにお金を回して経済という生命体を生かしているものだと考えると、私が学んだ生物学とそれほどかけ離れているわけではないと思っています。

野村證券に入社して3年目の2008年にリーマン・ショックが訪れます。100年に1度の経済危機が就職後3年目で起きるなんて、「勘弁してよ」と思いましたね。自分の人生設計では、日本企業の数少ないグローバル人材として、中東やヨーロッパに赴任して日本の証券会社の海外営業というポジションでバリバリ働く予定でした。

しかし、リーマン・ショックが起こり、野村證券はリーマン・ブラザーズのヨーロッパ、アジア、中東の部門を全部買収。そうすると、すでに現地にはグローバル人材があふれていて、私が行く必要がなくなってしまった(笑)。それで、機関投資家向けの日本株営業担当として、日本で働き続けました。今思えば、それが日本株の研究をするきっかけにもなっています。