1970年万博は人々に「未来は絶対今よりも良くなる」と希望を与えた

1970年万博の良さは、理念・エンターテインメント性・希望を重視した全体設計だ。1970年万博の特徴としては、理念や理想を真剣に考えるテーマ性と、来場者が純粋に楽しめるエンターテインメント性、独創的で希望を感じさせる未来像の提示の三点がうまく融合できていた。

石川智久『大阪が日本を救う』(日経プレミアシリーズ)
石川智久『大阪が日本を救う』(日経プレミアシリーズ)

具体的には、1970年万博のテーマは「人類の進歩と調和」であるが、元文化庁長官の近藤誠一氏や元大阪大学総長の鷲田清一氏などが「現代でも通用する」と指摘したように、先見性が高く、崇高な理念が示されていた(関西・大阪21世紀協会「KANSAI・OSAKA文化力119号」より)。また、丹下健三と岡本太郎が協働した、お祭り広場と太陽の塔で有名なシンボルゾーンでは非常に高い抽象性・メッセージ性が表現されていた。

一方で、月の石を展示した米国館、スプートニク1号を展示したソ連館といった各国パビリオンや、三洋電機(現・パナソニック)の人間洗濯機など、企業館はエンターテインメント性を発揮した。また、UFOのような球体が空中に浮かんだ住友童話館や高さ127.4メートルのエキスポタワーは未来の空中都市をイメージさせていたほか、動く歩道、ワイヤレス電話、テレビ電話、360度全天周スクリーン、音声認識で動くクレーンゲーム機などが導入されたように、その後普及した技術のショーケースともなった。

当時を知る方から「戦争から25年経ち、高度経済成長もあり、日本人皆が自信に溢れていた。展示もまさに未来都市を感じさせるもの。未来は絶対今よりも良くなると信じて疑わなかった」と聞かされたとき、1970年万博のインパクトを痛感した。

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