人はみな「キメラ」である

私は、自分の思考がモザイク状、もっといえばキメラ状(異なる遺伝情報が混ざった状態)にできているのを感じることがしばしばある。一貫性を持たせることは難しく、意外かもしれないが、これは自然にできることではないのだ。

よく観察してみれば、キメラでない人など、本当はどこにもいない。けれど、ほとんどの人は少なくとも自分で見える範囲内だけは滑らかに化粧して、驚くほど能天気に、自分は一意に定まるもの、と信じ切っている。

心地よく日々を過ごしていくためには、そこを忘れ去り、無視できるという能力も重要なものなのだろう。

「ブレる気持ち」を持ったことのない人の方が少数派

もっと下世話な書き方をした方が、わかりやすいだろうか。

たとえば、自分が好きになってそれなりの努力をして結婚できた妻がいて、今でも満足していて愛しているのに、シチュエーションが変わっただけで、まったく別の女性にあっさり誘惑されてしまうとか。

そうして、この人は一貫性を保持できていない、と世間に認知されるとどうなるか。

言うまでもなく、バッシングが始まってしまう。

実にありふれていてどこにでもあるつまらない話だから、本当は不倫の話など書くのもうんざりなのだが、周囲を見渡してみれば、こうした「ブレる気持ち」を持ったことのない人の方が、むしろ少数派なのではないだろうか。私が夫のことをメディアでのろけ気味に語るたびに、結婚して10年もたつのに、珍しいですね、といわれるのだから、きっとそうなのだろうと思っている。