人は資産の「水準」より資産の「変化」に大きな影響を受ける

プロスペクト理論

【岩澤】さて、カーネマンとトゥベルスキーは、この「期待効用理論」が人々の現実の選択行動の説明理論として適切なものとは言えないという主張をして、それに「プロスペクト理論」という名前をつけました(※5)。その主張を見ていきます。

※5 Kahneman and Tversky(1979)

まず次のような事例を考えてみましょう。

鈴木さんと山田さんは、ともに今日時点での資産が3億円である。昨年末時点では、鈴木さんの資産は10億円であった。一方山田さんの資産は1億円であった。

この場合期待効用理論では、鈴木さんと山田さんの効用は同じ(図表23の数値例だと57)になる、と考えます。効用は資産の総額で決まると考えるのが期待効用理論の基本だからです。しかしどうでしょう。素朴に考えて、鈴木さんと山田さんを比べると、どちらがより「心の満足感」を持って生きていると思いますか?

【C】山田さんですね。

【岩澤】ですよね。どうしてそう思われますか?

【C】資産が3倍になった山田さんはイケイケの気分でしょうし、逆に3分の1になった鈴木さんはガッカリのはずです。

【岩澤】ありがとう。これがカーネマンたちの第一の論点でした。「人間の心の状態は、資産の「水準」よりも、資産の「変化」によってより大きな影響を受ける」ということです。

実は人間の認識というのは結構いい加減なもので、認識の対象そのもの——資産の「水準」——よりも、認識の対象が置かれた環境——資産の「変化」——が認識に影響を与えてしまうのです。

同じ灰色なのに、違う色に見えてしまう

カーネマンはそのことを示すために、次の図を示しています(図表3)。この図は、左右に二つの四角があって、それぞれの四角の中に小さい四角があります。その二つの小さい四角の色を比べみてください。同じ色だとは思えませんよね。左は薄い灰色、右は濃い灰色に見えるはずです。しかしじつは両方の灰色は、まったく同じ灰色なのです。

不思議ですよね。人間の認識は、そのもの自体の性質だけでなく、そのものの置かれた環境——コンテクスト——にも、強い影響を受けるわけです。

そしてこのことは他人の認識に影響を与えようとするときに重要な問題になります。同じ灰色であっても、周囲を変化させることで薄く見せたり、濃く見せたりすることが可能になる、ということですね。

認識は対象物の置かれた環境に依存する