パナソニックが経営再建中の三洋電機を買収、来年4月に子会社化することにより、年間売上高11兆円を超える国内最大の電機メーカーが誕生する。

実は、この両社は約30年前にも“連合”する動きがあった。松下電器産業(現パナソニック)の創業者・故松下幸之助氏が、三洋の第3代社長だった井植薫氏とスペインで面談、「松下電工(現パナソニック電工)と東京三洋電機を一緒にさせよう」と迫った。そのとき薫氏は、「アニさん、そういう話はもう勘弁してください」と固辞したという。

松下電工は電気設備や住宅機器、電子材料などを手がける。2004年に松下電器の子会社となった。一方の東京三洋は1959年、群馬県・大泉町に設立。半導体やコンプレッサー、パソコン、暖房機器、スーパーやコンビニで使う冷凍冷蔵ショーケースなどを生産していたが、石油ファンヒーター事故がきっかけとなり、86年に三洋と合併した。

両社とも業務用電機の比重が高い上場優良企業で、親会社と比べ独自性が高い点も共通していた(例えば三洋の東京三洋の持ち株比率は20%程度。三洋よりも東京三洋のほうが株価は高かった)。

加えて、井植薫氏は松下電器の創業に参画した井植歳男氏の実弟で、松下電器の元役員。幸之助氏にとっては義弟に当たる。幸之助氏は、いわゆる井植三兄弟の中で「温厚な薫氏に最も信頼を寄せていた」(当時の関係者)とされる。

松下電工と東京三洋が仮に合併していたら、互いに補完しうる業務用電機の巨大企業が誕生し、電機業界の勢力図は変わっていただろう。特に三洋は東京三洋との合併以降、歳男氏の長男・敏社長の同族経営の失敗で破滅へと向かった。

「幸之助氏には、松下も三洋も自分の会社という認識があった」(同前)というが、今回、時を超えた大規模なM&A(企業の合併・買収)が成立することになる。パナソニックは、三洋が持つ太陽光発電やリチウムイオンバッテリーなどの環境関連技術を獲得。これをもとに、“環境”が購買動機に大きな影響を与える欧州や中国などへのグローバル戦略を加速させていくと見られている。その一方で、子会社となる三洋との融和策をどう進めるのかが今後の大きな焦点となる。