殺害予告は「コミュニケーションの一つ」

殺害予告の書き込みについては事件化され、逮捕された人物にも会った。20代の元派遣社員で、「謝罪したい」と手紙をもらったためだ。殺害予告の相手と会うことになり、唐澤弁護士もさすがに恐怖心を抱いたが、実際に会ってみると「優しそうで繊細な印象の青年」だった。とつとつとした口調で、「投稿に対する反応が面白くてやった。申し訳ない。友達がいなくて孤独で、掲示板に書き込んでしまった」と語った。

スマートフォンとノートパソコンでSNSに投稿
写真=iStock.com/Chainarong Prasertthai
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直接会うことはなかったが、殺害予告を書き込んだ別の大学生からは、几帳面な文字で経緯や反省を綴った手紙が届いた。「現実逃避のためにネットに夢中になり、掲示板を利用するようになった。最初は唐澤さんへの中傷の書き込みを眺めているだけだったのが、人を傷つける凶悪な言葉を繰り返し目にするうちに感覚がまひし、いつしか自分も傷つける側になっていった」などと経緯を説明。殺害予告については「ネットのコミュニケーションの一つ」という言葉で表現し、「唐澤さんがどんな気持ちになるかは考えなかった」と書かれていた。

会ってみると、みんなすんなりと謝る

複数の加害者と面会した唐澤弁護士は、「正直、拍子抜けした」と明かす。

相手が開き直って何か主張してくれれば怒鳴り合うぐらいの覚悟はできていたが、「みんなすんなりと謝るんです。私に恨みがあったり、こだわりやドロドロした感情を抱いていたりする人はいませんでした」。

彼らに共通するのは、コミュニケーション能力が低く、周囲に理解者が少なく孤独、罪悪感が乏しい――という点だった。

「彼らにとってインターネットは居場所だったんだ」。加害者との面会を通じ、唐澤弁護士はこう考えるようになった。掲示板はある種のコミュニケーション空間で、疑似的な「仲間」がいる。過激な内容のネタを随時投稿することによって、会話が盛り上がって関係が円滑になり、居場所が保たれる。それが彼らの自己確認、存在証明の場になっている――というのだ。

「テーマや攻撃の対象は何でもいいわけです。私という人間に興味があるわけでなく、みんなが知っている共通の『記号』としてネタにされていただけなのだと思います。その証拠に、私への攻撃が落ち着いた後、今度は攻撃していた側の一人が標的にされ、炎上していました。大義があるわけではないのです」

前述した大学生は、手紙の最後に謝罪とともにこう綴っていた。

「弁護士として真面目に仕事をされていただけの方が、大勢の匿名の悪意にさらされることの理不尽さが、今の自分にはやっと分かるようになりました。苦しめられる人から目を背けない大人になりたい」

少し救われた気がした。唐澤弁護士は、居場所をネット空間に求める若者たちの背景にある社会的、構造的な問題にも目を向けるべきだと考えている。