フィリピンの工場で作っていた量は他の国の工場よりも多かった。代替生産するにも一国では無理だったので、タイの工場と日本国内の工場に振り替えたのである。
「タイと日本のどこそこへ持ってこよう」と判断ができたのは調達部門が平常時に緻密な調達部品マップを作成していたからだ。
生産地を振り替え、復元するまでのプランを一気に練る
代替する場合、生産が動いている国で、フィリピンの工場のコストに見合った生産ができる国の工場に生産を振るのが基本だ。生産を振る場所が決まったら、次は日本の組み立て工場まで持ってくる物流のルートを確保しなければならない。
朝倉は言う。
「設備は工作機械が多いわけではないし、難しいものではありません。人海戦術でやって、できないことではない。ただ、手作業だから、人件費の安いところでやらなきゃならないんですよ。
それで、フィリピンが都市封鎖になったから、タイの工場に振りました。また、一部は日本にも生産設備を引き揚げて、作りました。ただ、日本の場合は緊急にはやれるけれど、継続的にはできない。日本人がやったら、そろばんに合わないからです。
フィリピン、ベトナムといった手先が器用で、細かいことをやれる人がいるところで作るのが基本ですよ。要は、現在、部品を作っている工場って、最適生産だから、そこでやっている。それを変えたら、また元に戻さなきゃならん。そこまで考えて振替生産のプランを作って実行するわけです」
どの業界にも当てはまる「物流」の問題
今回の危機に際してはタイミングがよかったと言っていいのかどうか判断に迷うところだが、トヨタは数年前から本格的な物流改革をやっているところだった。
「リードタイムを短く、小口の量で、フレキシブルに、そしてリーズナブルな値段で運ぶ」物流を構築しているさなかだったため、物流ルートの振り替えもスムーズに行うことができた。
トヨタが供給危機に対応できたのは生産部門と物流部門が日ごろから協同で物流改革に臨んでいたからだ。システムの端々までを知悉し、動かし方をわかっていたので、振り替えも難しくなかったのである。
どんな会社でもセクションが違うとコミュニケーションがスムーズにいかなかったりする。危機への備えのひとつに各セクションが日ごろから情報の共有を行っていることが欠かせない。ただし、これは実行することは簡単ではない。