百恵が引退した翌年には、ホリプロ初のミュージカル『ピーターパン』で、榊原郁恵が大ブレークして、百恵の抜けた穴を見事に埋めてくれました。しかし、あれにはアイドルの寿命を延ばすというもうひとつの目的があったのです。

第一線で活躍し続ける榊原郁恵の陰に堀氏の卓越したマネージングがあった。
第一線で活躍し続ける榊原郁恵の陰に堀氏の卓越したマネージングがあった。(時事通信フォト=写真)

第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝した郁恵が歌手デビューしたのは77年。当時、アイドルの寿命は3年といわれていましたから、私もアイドルとしてはそろそろ厳しいと思う一方で、郁恵ならやりようによってはまだまだ稼げるのではないかという気持ちもありました。

そこで、アイドルからファミリータレントへ彼女のイメージを進化させようと考え、ピーターパンという家族で観に来られるミュージカルをブロードウェイからもってきて、その主役をやらせることにしたのです。

ところが、当初この企画を支持する声は、社内にはほとんどありませんでした。演劇という不慣れなことに手を出して本当に採算がとれるのかという不安に加え、郁恵のグラマーな体形がピーターパンのイメージにそぐわないというのがその理由です。しかし、なんとか「3年の壁」を壊したかった私は、自分の意見を押し通しました。

その結果、郁恵は見事に脱アイドルを果たし、7年間、340回ピーターパンを演じ続けたのです。もちろん、ピーターパンにふさわしい体形をつくりあげた郁恵のプロ魂がなければ、これほどの成功はなかっただろうことは想像に難くありません。

才能があったというよりも、運がよかった

このように、浮き沈みの激しい芸能界で今日までこうしてやってこられたのは、私に才能があったというよりも、運がよかった――もっというと、運を摑まえるのがうまかったからでしょう。運というのは誰のところにも平等に回ってきます。運の良し悪しというのは結局、それを見逃さずに摑まえられるかどうかの差なのです。

運をキャッチできるようになるにはちょっとしたコツがあります。まず、いつもいい顔でいること。暗い顔をしているとせっかく幸運の女神がやってきても、あっという間にどこかに行ってしまいます。

だから、たとえ嫌なことがあっても、決してそれを表情に出してはいけません。ホリプロのエレベーターホールの鏡に小さく「いい顔作ろう」と書いてあるのには、そういう理由があるのです。

それから、日ごろからセンサーを磨いておく。いま世の中ではどんなことが流行っているのだろう、どこかにおもしろいことはないだろうか、そういうことを常に意識して生きていれば、センサーは自ずと磨かれます。そして、センサーが感知したら即座に行動に移すこと。人より先に仕掛ければうまくいく確率は上がるし、失敗しても名誉が手に入ります。逆に、あとから仕掛けて失敗したら、それは単なる恥。社員にも、人の後追いだけはするなと言ってきました。